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「日本人の血が流れていることを日系人として誇りに思う 」ビクトル堤・国立工科大学先端研究調査センター教授

今回は、国立工科大学先端研究調査センター(CINVESTAV-IPN:Centro de Investigación y de Estudios Avanzados del Instituto Politécnico Nacional)・教授のビクトル・カツトシ・堤(Victor Katsutoshi Tsutsumi)先生にお話を伺いました。


堤先生はメキシコ生まれの日系二世です。様々な学術的な活動に協力して来られ、科学における日本とメキシコの関係の架け橋の構築に積極的にかかわっておられます。堤先生に、ご自身の人生の一端をお話しいただくとともに、メキシコの教育の将来についてのご見解を伺いました。

 

<目次>

 

両親の生まれ故郷を訪れ、自分のルーツを知る


―先生のご経歴をお聞かせください。


堤先生:私はメキシコのバハカリフォルニア州のメヒカリで二世の日系メキシコ人として生まれました。私は両親の10人の子どもたちの5番目です。日本から来た両親のもとにみんなメキシコで生まれました。メキシコのバハカリフォルニア州の州都メヒカリ市は、中国系の移民が多いことで知られていますが、メヒカリ市は、美味しい中華料理を出すレストランが多いことでも有名なんです。


私の父と母は、日本の九州、福岡県柳川市で生まれました。父の堤重吉は1925年にメキシコに着き、母の藤吉テルコは1927年にメキシコに渡りました。初めて日本を訪れたのは前世紀で1970年代の初めで、福岡市の博多で開催された医学の学会からの招待でした。両親の故郷を見たいという思いが強かったので、この機会に柳川市を訪れました。柳川市を訪れて、「ここは、当時は未知の国で本当に遠く離れたメキシコに移住することになった両親が、生まれ育ち、青春の大半を過ごした町だ」と思って、本当に深く感動しました。この時、私は何人かの叔父、叔母、そして父方(堤家)と母方(藤吉家)のいとこ[1]たちにも会えました。私の妻の原みどりも、メキシコシティ生まれの日系2世のメキシコ人です。妻の父は長野県出身で、母の高根静子はメキシコ・ソノラ州生まれですが、幼い頃は日本の山梨県で育ちました。


メキシコは、福岡県や長野県をはじめ、山口県、熊本県、和歌山県、広島県など、日本各地の県から多くの移民を受け入れてきました。今もメキシコには多くの「県人会」(日本の特定の県からの直接の移民やその子孫から成る会)があります。最初に設立された会のひとつが「福岡県人会」です。設立70年以上になり、父の堤重吉が同じ県出身の数名の日本人とともに、設立当初から積極的に参加していました。


現在、私は仕事の学問の方での責務で手いっぱいですので、各県人会の社会的・文化的な活動にはめったに参加していません。けれども、三世の私の子どもたちや四世の孫たちは、「日墨協会」の本部、「日墨会館」(「カイカン」)で行われる日墨協会の活動をはじめ、県人会のさまざまな会合や文化活動、お祝い事などにアクティブに参加しています。現在、県人会のさまざまな活動に積極的に携わっているのは若い日系人たちです。文化や伝統、科学や経済の上で、日本との交流を維持するために、こうした3世、4世、それに第5世をも含む日系人が、メキシコのニッケイ社会の将来の課題についても、ニッケイ社会の存続や進歩についても、中心的な役割を果たすことが期待されます。


私は1965年にメキシコ国立自治大学(UNAM)の医学部を卒業し、医師になりました。その後、1968年から1970年まで、カナダのオンタリオ州のキングストンにあるクイーンズ大学の病理学教室で研究助手(リサーチ・フェロー)として生物医学研究のトレーニングを受けました。


メキシコに帰国後、1973年から1976年まで、メキシコ保健省傘下のRegistro Nacional de Anatomía Patológica de Secretaría de Salud de Méxicoで病理解剖学の専門医としての訓練を受けました。この間、1974年の8月に東京大学に属し、名古屋を拠点とする生理学研究所で濱清教授のご指導のもと、高圧電子顕微鏡のトレーニングを受けました。


1987年に科学の修士号を、1992年に科学の博士号をメキシコ国立工科大学の国立生物学校(Escuela Nacional de Ciencias Biológicas)で取得しました。 2007年から2008年まで、サバティカルで福岡の久留米大学医学部の内科におりました。


堤一族の集合写真



メキシコは教育にもっと投資すべき

―堤先生は、最近のメキシコでの教育支援についてどう思われますか?また、先生が求めておられることは、どのようなことでしょうか?


堤先生:私はUNAMの医学生だった頃から教育や研究に興味があり、当初はUNAMと国立工科大学の両方で学部レベルの組織学と基礎病理学を教えていました。同時に、生物医学の研究にも着手しました。電子顕微鏡を基本的なツールとして使い、膵臓や肝臓、糖尿病や肝硬変、肝臓がんなどの疾患についての研究を始めました。


アドルフォ・マルティネス・パロモ教授の招きでCINVESTAVに入り、私は寄生虫学のさまざまな面、特にメキシコや開発途上国で非常によく見られる下痢(アメーバ赤痢)を引き起こすアメーバについて研究を始めました。ラボでは、ハムスターやラット、マウスなどの実験動物を使って、腸や肝臓に生じるダメージを再現し、分析します。


肝疾患に大きな関心があったので、肝疾患、特に肝硬変や肝がんの研究をしている国際的に有名な日本のグループの1つと連絡を取り、共同で科学研究を始める機会を得ました。これは久留米大学との研究で、当初は谷川久一教授と研究しました。後から、谷川教授に続いて、佐田通夫教授、鳥村拓司教授も参加しました。彼らは非常に優れた研究者で、私は、彼らと学術的な交流や文化や社交の面でもお付き合いする機会に恵まれました。


また、上野隆登先生、中村徹先生、[向坂彰太郎先生などとも連携させていただき、メキシコのさまざまなセンターや研究所にお招きして、講演をしていただきました。それに、このコラボは、国際的に権威ある学術雑誌への複数の論文掲載につながりました。


―堤先生は、最近のメキシコの教育支援についてどう思われますか?


堤先生:まず、メキシコと日本の教育制度は同じではないということを考慮すべきです。メキシコでは、研究に対して十分な資金援助がなされているとは言えません。研究への資金援助は、連邦政府の数十年前から公約していたGDP(国内総生産)の1%に達していません。初等・中等・高等教育から大学院まで、あらゆるレベルの教育に携わるスタッフの育成、知識のアップデート、トレーニングも含む形でプログラムの更新を伴う教育改革の実施は、メキシコ政府にとって喫緊の課題です。


高等教育や研究への支援に関しては、資金不足には拍車がかかっており、資金調達に多くの制限があるため、いわゆる「頭脳流出」を引き起こしています。才能ある若い研究者たちは米国、カナダ、ヨーロッパなどの他国への移住した方がいいと考えるのです。メキシコ政府は、もっと経済の見通しを改善する必要があります。それにメキシコでは民間の研究支援は事実上ないに等しいのです。例えば米国からの援助のように、非常に高額な資金と高い技術が求められ、重要な成果が頻繁に得られるような研究は、現在のところ、海外からの資金援助による研究としてはほとんど行われていません。


日本には、政府からの援助という点で、研究者にとってより好ましい環境があると感じています。久留米大学でのサバティカル・イヤーでは、職場環境、スタッフ全員の温かさと気配りに非常に感銘を受けましたが、何よりも、物的資源、試薬があって入手できること、機材が効率的な形で使用されていたことに強い印象を受けました。それこそ、研究への支援が極めて重要であることを物語っています。


久留米大学での堤先生(1997年撮影)


日本人の血が流れていることを誇らしく思う


―日系人として、日系人や日本人に対してメキシコ人はどのような印象を持っていると思われますか?また、日系人としてどんなことを誇りに思っておられるか教えてください。


堤先生: メキシコ人は、日系人を優秀だとみなしていて、良い印象を持っていると思いますよ。遺伝上の形質(身体的特徴)では、私たちは東洋人なのですが、ふるまい方は、メキシコ人的(西洋的)だったり、日本人的(東洋的)だったりと、両方を兼ね備えていますね。


一世の両親の影響かと思うのですが、面白いことに、本国の日本ではほとんど行われていない純日本的な習慣やお祭りや祝い事があります。例えば、国歌(君が代)をしょっちゅう歌うとか。どんなお祭りやお祝い事の時でも歌うし、食事の時には歌って踊ったり(音頭)、紅白のようなイベントも開催したりなど。日系人としての私の印象では、日本から来た日本人の方たちが日系人に抱く印象は、おそらくメキシコ人のそれとは違うように思います。私たちの中には、色々な習慣が混ざった形で存在しているせいもあると思います。


もちろん、一般的には日本のイメージはとても良いものです。私たちが受け継いできたものとしては、正直であることや、礼儀正しいこと、規律正しいことなどがあると思います。個人的には、私は日本人の血が流れていることを誇りに思っています。



家の中では父から日本語で話すこと(口語)を教わりましたが、外ではいつもスペイン語で話していました。日本滞在中は、大学ではコミュニケーションは基本的には英語で、また日本語もつたないながら、日本人の先生方が親切に助けてもらって使っていました。 親戚とは片言の日本語と、「ベン」のアクセント(九州弁)で話していました。


第二次世界大戦中や戦後、日本は物資が不足し貧困にあえぎ、非常に厳しい時期を経ましたが、驚異的な経済復興と成長を遂げたことは誰もが知っています。私たちが日本について持っている情報の多くはテレビから得たもので、科学や先端技術の大躍進が見られます。個人的には、NHKワールドが好きでよく見ています。面白いドキュメンタリーや歴史、日本の食文化、最新の技術や研究など、外国人にもわかりやすく紹介してくれるからです。驚いたのは、NHKワールドで紹介された日本のとんこつラーメンや味噌ラーメンが、私たちがメキシコで食べるラーメンとはちょっと違うことですが、でもやっぱりおいしいと思います。メキシコの人たちにも、いつか本物のとんこつラーメンや味噌ラーメンを味わってもらえたらいいなと思います。


また、父から教わったのですが、私は演歌が好きです。特に好きなのは、昔の歌手の中では美空ひばりさん、最近では石原詢子さんです。また、カラオケも大好きです。メキシコでは場所がとても少ないので、最近はほとんど行っていませんが。日本の「演歌」は、日本文化の一端で、日本人が気持ちや情熱を表すやり方なのだと思うのです。ここ数年、演歌を楽しむ機会、演歌に触れる機会がめっきり減ってしまったように感じますが、演歌は消えずに、次の世代に受け継がれてほしいなと思います。


言葉を学んで、視野を広げよう



―若い世代へのメッセージをお願いします。


堤先生: 日本に行ってみたいと関心を寄せるメキシコ人や若い日系人の活動に必要な環境が今はそろっていると思います。文化や興味のある分野ならでの知識を最大限に生かすにあたって、ぜひとも考慮すべき重要なファクターが言葉なのだということは、念頭に置いておくべきです。


孫たちも日本語を勉強していますし、もっと日本語の重要性は認識されるべきだとおもいますね。日本での経験から言えることは、日本の大学や大学院に留学して修士号や博士号を取得するハードルは極端に高いということです。というのは、日本語で意思疎通を図り、学会発表をして、論文を書いたりするということは、難易度が高いのです。また、研究活動において、日本語で書かれたものを読んで翻訳すること、それを英語でも行うことは、カリキュラムの上での重要な進化です。いろいろなことが興味を惹くでしょうし、視野を広げてくれることでしょう。だからこそ、若い世代が言葉を習得することの重要性をもっと意識してくれたらなあと思います。


日本の学者がノーベル賞を受賞し、多大な貢献をしていることは、若い研究者に良い影響を与えていると思います。そうした人々の背中を見ながら、最先端の技術も学び、全世界に羽ばたいていってほしいと思いです。


言葉を学ぶことで、日本文化をよりよく体験することができます。同じことは日本人にも言えて、メキシコに来られたら、スペイン語の習熟と合わせて、メキシコの古代の文化や近代の文化の奥深さを学んでほしいと心から願っています。 

 

編集後記


堤先生は、日本で研究活動を行い、CINVESTAVで長年研究を行ってきました。研究室を訪ねると、若い研究者が笑顔で迎えてくれて、楽しそうに実験している姿に驚きました。ツツミ先生のお人柄や研究環境の良さから、若い世代が堤先生についていくのかもしれないなと思いました。同じ日系人である堤先生は、日本人の血が流れていることに誇りを持っておられるのだということを、インタビューをしていて感じました。


日本の古き良き文化を大切にするだけでなく、新しい日本の文化にも興味を持ってこそ、本当に日本に近づき、大切にしているのだと言えるでしょう。


私たちは日本人として、日本人の祖先をもち、日本人の血を引くメキシコに住む日系人の誇りを、日本人として私たちは見習うべきだと思いました。

 

執筆者紹介:




温 祥子(Shoko Wen)

MEXITOWN編集長兼CEO。メキシコ在住5年半。MEXITOWN立ち上げて今年で3年目に突入。これからも様々なジャンルの方をインタビューしご紹介していきます!趣味は日本食をいかにメキシコで揃えられる食材で作ることができるか考えること。日本人の方が好きそうな場所を探し回ること。



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