今回はオーエスジーメキシコ法人(OSG ROYCO社)の取締役相談役の吉崎壽高氏のインタビューです。
ポルトガル語を大学で勉強し、アメリカとメキシコ、ブラジルで長年海外勤務をされてきた吉崎氏。
「メキシコ人の従業員と上手くやっていくにはどうすればいいのだろう」
「日々の業務で精一杯でメキシコ人と打ち解けられない」
そんな風に悩みを持つ方へのヒントを頂きました。是非ご覧ください。
<目次>
ブラジルに将来性を感じ、ポルトガル語を勉強
ー吉崎さんは上智大学外国語学部ポルトガル語学科をご卒業されています。私もよく聞かれる定番の質問になってしまいますが、何故当時ポルトガル語を勉強しようと思ったのでしょうか。
吉崎様:私は三重県四日市市の出身で、高校生の時丁度大阪万博が開催されました。開催前からワクワクしていたので、開催2日目に早速足を運びました。そこでブラジル館を目の当たりにし、私には強烈的な印象を与えました。ブラジルという国がとても大きく、将来性のある国であることを感じました。この国で将来は働きたい!と思ったのがきっかけです。当時はブラジルブームで、ブラジルに進出する企業も多かったこともあります。また、高校生の頃からサンバなどのブラジルの音楽に触れ、もっと接してみたいという想いもありました。高校生は音楽とスキーに明け暮れていましたね。
そして念願かなって上智大学外国語学部ポルトガル語学科に進学し、ブラジル人の友達も多くできました。もちろん、サンバなどのブラジル音楽にも多く触れ合うことができ、大変充実した学生時代でした。
大学を卒業して就職したオーエスジー株式会社は当時、ブラジルに工場を建てたばかりでした。入社後は輸出に携わる業務をしていましたが、なかなか海外に行くチャンスがないと思っていましたが、5年半後にブラジルに出向というチャンスが来ました。
ブラジルではなくアメリカ、そしてメキシコへ。苦労は自分が経験する
ーやっとご自身が大学で勉強したことを活かせるというチャンスですね。しかし、そこでまた思わぬ事態が吉崎さんに起こりました。
吉崎様:ビザも取得し順調に進んでいたのですが、、、なんと私がブラジルで携わる予定だった中南米のプロジェクトが急遽中止になりました。「メインの仕事も他の人に引き継ぎしてやることがないな・・・」と机に座っていたところ、丁度アメリカ法人の副社長が帰国していた時で、「君、やることないならアメリカの新しいプロジェクトに参画しないか?」と声を掛けられ、1983年12月にオーエスジー米国法人に出向しました。
出向先のオーエスジー米国法人はイリノイ州・シカゴにありましたが、12月は外がマイナス20度という極寒の土地。それでも仕事も生活もとても楽しい想い出が残っています。アメリカには10年いましたが、後半の5年は日米貿易摩擦問題が深刻化した時期で、自動車部品メーカーもアメリカで部品を製造しようという動きが加速し、多くの日系企業がアメリカに進出しました。そのため、私も昼夜問わず働き、カナダからフロリダまで自社飛行機で飛び回りました。大変でしたが、成果を沢山得ることが出来ました。
ー自社の飛行機!?時代を感じてしまいました(笑)
吉崎様:そうです。当時は7人くらい乗れるセスナ機を会社が買い、自宅近くの飛行場で乗って、目的地近くの飛行場で降りてレンタカーを借りるという行動をしていました。でも後に、パイロットが飛行中に心臓麻痺を起こし墜落したという事故があり、それ以来会社で自家用飛行機に対して恐怖が出てきてしまい、数年後には飛行機を売却しました。
1994年、オーエスジーがメキシコの工具メーカーを買収することになり、私は社長としてメキシコに赴任しました。アメリカでの生活が良かったので最初は抵抗がありました。でももし私が断ると他の方がいくことになる―そうなるくらいなら自分が行って苦労をした方がいいと思いました。最初は現在のグアナファト州・シラオではなく、メキシコシティに住み始めました。
ーブラジルではないけれど、似た言葉といわれているスペイン語を話すメキシコです。スペイン語を話したり理解するのは簡単でしたか。
吉崎様:いやいや、大学を卒業してから数年以上たっていて、ポルトガル語は使っていなかったこともあり忘れていました。そのため、とても苦労しました。スペイン語は似ているからと言われてますが、難しかったです。特に来た当初は弁護士が絡む話も多く理解するのに難しかったので、スペイン語と英語が出来る方をアシスタントとしてつけてもらいました。
グアナファト州が農業の州から工業の州になるまで
ー1994年からメキシコに赴任された吉崎さんですが、その頃から比べると日系企業も今は本当に増えました。赴任してからこれまでオーエスジーメキシコ法人のあるプエルトインテリオール工業地域・グアナファト州などはどのように変化していきましたか。
吉崎様:1994年頃は日系の大手メーカーは殆ど進出していませんでした。日産くらいしかなかったのではないかと思います。工具も日本で購入し、日産トレーディングを経由して持ち込むことが多かったです。弊社も日系企業のお客様はなく、欧米系もしくはメキシコの地場の企業がメインでした。
また、買収した会社は品質のレベルが低く、製品がお客様の要件に合わないということもしばしばあり頭を悩ませました。そこで品質向上のために、メキシコシティから近いメキシコ州・トルーカに工場を建設し、1998年に竣工しました。
グアナファト州をはじめとするバヒオ地域は製造業もなく、農業が中心の地域でした。特にグアナファト州はメキシコの中でもイダルゴ州やチアパス州と同じくらい貧しい州と言われていました。そこからグアナファト州出身のフォックス元大統領がGM(General Motors)をアメリカからグアナファト州に呼び寄せ、2000年にGM社がエンジン工場を建設したことを皮切りに、グアナファト州は貧困の州から脱却できました。
その後2010年代になり、マツダがグアナファト州・サラマンカ市に工場を建設してから日系企業の進出ブームが始まりました。日系企業だけでなく、アメリカ・ドイツ・スペイン・カナダなど、様々な国からメーカーが進出するようになりました。こうした状況を踏まえて2016年、弊社もグアナファト州・シラオに工場兼テクニカルセンターを建設しました。
そして2012年、オーエスジーブラジル法人(OSG Sulamericana社)を兼任することになり、ブラジルで働きたいという夢も叶いました。2013年から定年まではオーエスジーの日本本社の役員も兼任となり、日本⇔メキシコ⇔ブラジルを年間13回往復という生活が続きましたので、自分の時間帯がよくわからなくなりました(笑)。COVID以降はブラジルに行けていないので、そろそろ行こうかと考えています。
日本文化は異質であることを念頭に置く
ーそんなメキシコとブラジル、日本を飛び回っていた吉崎さんですが、メキシコで従業員のマネジメントを上手くやっていくためのアドバイスを教えてください。また、日本よりもやりやすいと感じたことはありますか。
吉崎様:従業員のマネジメントを上手くやるためのアドバイスについて、4つに分けて説明します。
1.日本文化は異質であることを理解する
日本人の方には、世界の中で「日本文化は異質」であることを理解して頂きたいです。相手の異なる文化を受け入れ心を寛大にすることで、初めて相手との信頼関係を築き上げることができると思います。
2.愛社精神を強要しない・個と個の信頼関係を築く
日本のように愛社精神をもって働いてほしいというのは通用しません。会社のために働く、ではなく、あなたのために働くという考えが強いです。個と個の信頼関係を築けば、メキシコ人の方は猛烈に働くようになります。
3.企業内教育を充実させる
メキシコの抱える問題は治安と教育です。このうちメキシコの教育は遅れており、会社に入ってからの企業内教育を充実させることが必須です。メキシコ人の中では「教育は与えられるもの」という考えがあるため、日本のように自主的に勉強しなさいとする考えは通用しません。それぞれの従業員に見合った教育プランを作成し、管理層の方は人任せにせず、しっかりとフォローアップすることが重要です。教育プログラムの初日のオリエンテーションに社長自らが顔を出し、教育の目的と何故教育に選ばれたのかをご自身の言葉で説明することで、従業員の方のモチベーションも上がります。そして定期的に成果もチェックして、教育の効果がまだならもう一度教育する、達成できていたらそれに見合った昇給をすることも必要です。
4.将来像を社内で描けるようにする
半期に一度社内で全体会議やセミナー、研修を行い、従業員が3年後、5年後になりたい姿を思い描く機会を設けます。弊社にはトルーカの工場の時にオペレーターとして入社し、40代・50代になり管理職として活躍している方がいます。この方をお手本とし、新しく入社してきた20代の新入社員には「君も頑張れば将来この人のようになれるからね」とすることで、モチベーションも違ってきます。
日本よりもやりやすいなと感じたことは2つあります。
1つは物事を進める際、根回しなどが必要ない事です。日本だと部署を跨ぐ会議などがある場合、事前に根回しをしてお互いの部署がどう考えているかを把握し、違う意見を当日言わないように事前に部署ごとで会議を行う傾向がありますが、これはとても時間のロスです。そうしたことはアメリカでもメキシコでも見られないので、日本独特かもしれません。
もう1つは考えに創造性があることです。例えば何かを始めるとき、目的だけ従業員に伝え、目的に対する私の意見ややり方は伝えません。そうすると沢山のアイデアが生み出されて、個性が出てきます。やり方についても1から10まで細かく指示を出さないようにしています。出さずに働いてもらう方が「自分たちは任せられたんだ」という意識が強くなり、プライドを持ってモチベーションを感じて働いてくれます。
下手でもいいからみんな一緒に踊ろうよ!
ーここからは吉崎さんご自身についてです。メキシコで好きなアクティビティ、観光地、料理や食べ物を教えてください。
音楽とダンス
吉崎様:アクティビティは音楽とダンスですね!高校時代からギターを弾いて歌っていたのでラテンアメリカの音楽が大好きです。それに合わせてみんなでダンスをすることが最高に楽しいです。よく日本人の方でダンスが出来ないからといって参加しない方もいらっしゃいますが、「下手でもいいからみんな一緒に踊ろうよ!」と声を大にして伝えたいです。
観光スポット
サンルイスポトシ州のCascada de Tamul
これまでのMEXITOWNの他の方のインタビューでも触れていましたが、メキシコは観光資源が豊富です。サンルイスポトシ州のCascada de Tamulは、流れる滝・川の色が息をのむような美しいブルーで感動しました。同じサンルイスポトシ州のゴロンドリーナス洞窟 (Sotano de las golondrinas)も世界では珍しい洞窟です。直径60~70m、深さ200~300mくらいの洞窟の中に燕が集まってきて巡回しています。落ちてしまう危険があるので、命綱を付けて鑑賞しました。
オアハカ州のHuatulco
海沿いでいうならオアハカ州のHuatulcoがおススメです。メキシコにはカンクンなど多くのビーチがありますが、Huatulcoは冬でも水があたたかくて泳げます。また、スノーケルのスポットとしても有名です。海から山に行く途中日本の海沿いでも見かけるような干物が売っていたのも印象に残っています。
食べ物
メキシコはスープが美味しい!
メキシコはスープの種類が非常に豊富で大好きです。中でも、Mole de olla は煮込んだ柔らかい牛肉と沢山の野菜を、チリ・グアヒージョの風味があるスープが気に入ってます。レストランなどで見つけたら必ず頼んでます。グアナファト州は内陸で魚介類が新鮮でなかったりしますが、メキシコシティにいた時はCaldo de pescado、Caldo de mariscosを好んで食べてます。たまにクーラーBOXを積んでレオンからメキシコシティに行き、魚を買ってます。メキシコシティはカリブ海と太平洋の魚介類が両方手に入るので、鮮度も全然違います。
テキーラとプルケ
お酒も大好きです。テキーラは家に20種類くらいあり、お気に入りはHerraduraと1800、El JimadorやCuervo Tradicionalです。テキーラを入れる樽も買ってあり、テキーラ村に行くときは樽を持って行って、路上でテキーラを入れてもらってます。それをフィエスタの時に出すとみんなとても喜びます。夕方くらいからビールから始まって、テキーラをゆっくりと味わう時間が好きです。また、プルケも大好きです。イダルゴ州に行くと街道沿いにドラム缶に入ったプルケが売られていて、それをトウモロコシの葉っぱの上に盛っていただくのがたまらないです。
文化に優劣はない。心を寛大に、人生を120%楽しんで!
ー最後に現在メキシコの日系企業で働く、読者の皆様へメッセージをお願いします。
吉崎様:「文化に優劣はない」です。文化は国それぞれ違います。メキシコの文化も日本と違いますが、素晴らしい文化を持っています。これまでの人生を振り返ると多くの方との出会いが自分に刺激を与えてくれ、自分に新しいチャンスや成功へのヒントを与えてくれたことを思い出します。繰り返しになりますが、人との出会いを大切にして、寛大な心ですべてを受け入れることが、メキシコで働くうえで大切なことと言えます。
折角来たメキシコ、人生を変えるつもりで100%、いや120%楽しもうじゃないですか!フィエスタで歌って踊って、一生懸命仕事をして。新しい人生をメキシコで楽しんでください!
経歴:
1977年 上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒
同 オーエスジー株式会社入社
1983年 オーエスジー米国法人へ出向
1989年 オーエスジー米国法人National Sales Manager
1994年 オーエスジーメキシコ法人(OSG ROYCO社)社長
2003年 オーエスジー株式会社執行役員
2012年 オーエスジーブラジル法人(OSG Sulamericana社)社長兼任
2013年 オーエスジー株式会社常務取締役
2018年 オーエスジーメキシコ法人、オーエスジーブラジル法人 取締役相談役
趣味:
音楽、ダンス(1982年 ニーナハント杯全日本オープン大会ラテン部門5位入賞)
スキー(若い時は良くやりました。腕前はプロ級)
ゴルフ(以前はハンデイー6、最近はあまりやっていないのでハンディー?です)
編集後記
実はMEXITOWN編集長も上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業のため、吉崎さんは大先輩。イスパニア語学科の方のインタビューはありましたが、メキシコでまさかポルトガル語学科卒業の方にお会いできるとは思わず、少々緊張してシラオのテクニカルセンターに足を運ぶと、上の階から「祥子さん!!」と私の名前を呼ぶ吉崎さんが。そこで緊張は一気にほぐれ、終始楽しい雰囲気で大学時代の想い出話から同じポルトガル語学習者が抱えるスペイン語を読んだり話したりするときの悩みなどをお話しました。
テキーラのことからメキシコの従業員の方とうまく接するにはどうすればいいかなど、お話の引き出しが豊富で、どんなテーマをお聞きしても必ず答えが返ってくるような方でした。中でも「文化に優劣はない」「新しい人生を思う存分楽しんでほしい」という一言は一見当たり前でわかっているようですが、実際日々の業務などに追われていると忘れてしまいがちなことではないかと思いました。そんな当たり前の言葉でも、メキシコ人の従業員の方と同じ目線で接し、常に一緒に考えてきた吉崎さんからお話しされると、改めて考えさせられました。
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