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(後編)写真家・篠原誠二氏「姉妹都市交流円滑の為、各姉妹都市で写真展を開きそれらの作品で写真集を作成したい」

更新日:2022年9月19日



第33回メキシコで頑張る人にインタビューは、メキシコ在住歴46年、メキシコシティの写真家・篠原誠二氏(後編)です。


前編では、篠原氏がメキシコに来た理由、カメラを手にして白黒の写真を撮ろうとしたきっかけ、レオンでの写真展のお話を伺いました。インタビュー後編となる本記事では、篠原氏の姉妹都市交流への想いや、現在メキシコで働く方へのメッセージをいただきました。前編同様、数々の作品を掲載していますので、是非最後までご覧下さい。

 

<目次>

 

姉妹都市で写真展を開き、その延長線上で写真集を出版したい


MT:広島をテーマにした写真展もされましたね。


篠原氏:広島というと皆様、原爆ドームと平和記念公園を見学するだけの方が多いかと思います。広島はそれだけではなく、呉市、竹原町、尾道市そして鞆の浦等々、400年の伝統を守る宿場町など見どころも沢山あることを写真を通して伝えたかったです。


広島の様子

ー原爆の後も人々が街の歴史を守りながら生きているー

篠原氏の写真を通じて感じました


広島県とグアナファト州は姉妹都市ですが、メキシコと日本には姉妹都市が沢山あります。愛知県・名古屋市とメキシコシティ、埼玉県とメキシコ州、京都府・京都市とグアダラハラ、アカプルコと宮城県・仙台市、千葉県・御宿市、クエルナバカと千葉県・大多喜町などがあげられます(注1)。今後、姉妹都市を訪問して写真展を開催し、姉妹都市単位の写真集を作成することを考えています。 


グアナファト州の写真

写真展を通して、いつか広島でグアナファトを知ってもらえるきっかけになりたい


MT:いつか実現したいですね。お互いの姉妹都市はどのような街か、「写真を通した日墨文化交流」が広がるきっかけになりますね。


篠原氏:まだまだこの歳でも実現したいことが沢山ありますよ。去年と今年はコロナウイルスのパンデミックで写真が撮れず、写真展も開催できませんでしたから。


もう一つは、これまでメキシコと日本を一生懸命つないできた方を写真で100人くらい残したいです。叙勲者、外務大臣表彰者、日墨協会の会長経験者、商工会議所の会頭経験者、日墨学院(Liceo Mexicano-Japones)の学長、理事長経験者、メキシコ人で日本の大使をした方、日本で領事をした方、定年退職して家にいる人、名誉領事、日本の勲章をもらったメキシコ人などです。もしこの記事を読んで「私だ!」と思った方はすぐに撮りに行きます!


何度も逃げて帰りたいと思った、でも頑張ってメキシコにいる


MT:メキシコに住み始めて46年。日本に逃げて帰りたくなったことも何度もあったかと思います。


篠原氏:メキシコが嫌で日本に逃げて帰りたいと思った事はありません。貧乏から逃げ出したい、逃げて日本に帰りたいそんな気持ちでした。


今思えば、右も左もわからない僕に最低賃金で雇ってくれた日本人の師匠に心より感謝しています。彼の下で丁稚として働いた時期、その長い時間が今の私を作ってくれました。

師匠は、「誠二、こんな事に負けるな、お前は日本男児頑張れ!!頑張れ!!」と何時も愛の鞭を打ってくれていたように思います。お陰で私は、本当に強くなりました。


苦しい事に負けない、泣かないそして弱音を吐かない!そんな強い男になれました。


頑張って、ここにいる。ここで人生終える。メキシコで友達、家族もできました。妻も46年間一生懸命頑張ってくれたし、喧嘩も毎日してきました。そんな妻にも感謝しています。


人からみたらなかなか波の多い人生だったと思いますが、後悔なんて一つもしてないです


日本に逃げて帰れなかったのは、羽田で見送ってくれた高校時代の仲間達の笑顔を思うとです。帰国した後、どんな顔して彼らに会えるでしょうか?会えないですよね。日本を去る時、彼らは羽田空港で私を励まし見送ってくれました。


そんな彼らの一人一人の顔を思い出す時、家族を捨てて逃げて帰った私が彼らに会う事は出来無いです。恥ずかしくて会えません。それで私は、頑張れたのです。彼らの優しい見送りの笑顔を思い出して頑張れました。友達は、有難い存在です、そしてとても貴重な存在です。当時をそして彼等を思い出す時は何時も大泣きします。


篠原氏の故郷・北海道

ふるさとへの想いが込められています


MT:最後に、メキシコに住む日本人の方にメッセージをお願いします。


感動することを経験し、メキシコ人と友達になる事


篠原氏:2つあります。まず、多くの日本人にも感動するという経験をしてもらいたいです。ここで少し、私の生きがいとなっている息子たちのことをお話してもいいですか。


長男・誠一は、大学の授業は工学部でしたので5年間でした。4年生頃から夜遅くまで卒論のために準備をしていました。苦労の末勝ち取った学位です。卒論が受理された瞬間、涙を流して喜んでいました。この小生意気な息子が親の前で初めて流した涙です。この喜びを、そして感動を一生忘れないで欲しいです。


次男・大輔の場合は、日本の武道が好きで、卒論はテーマが「 宮本武蔵を中心にした 武士道」でしたから大変です。学位を取得するのに8年かかりました。日本語の解らない彼は、アマゾンで英語訳された武士道の本を沢山購入し論文はスペイン語。論文担当の教授が大変興味を持ち、修正のやり取りを重ねて8年でした。長男の様に大泣きはしませんでしたが苦労した事を思えば嬉しいものですね。涙を堪えていましたがやはり泣いていました。いい感動をさせてくれた神に感謝です。


娘のそれは、授業に含まれていましたので特別な卒論はありませんでした。


自分の事よりも子供達の事が長くなりました。貧乏してもメキシコから逃げ出さず、子供達の事を考えて働いて来た事に今、幸せと気持ちの良い喜びを感じています。日本のそれと仕組みが違うので読者にもこの仕組みを知って欲しかったからです。お陰様で、欲しい物は苦労してでも手に入れると言うことを彼らは学んだと思います。親としてこれ以上の喜びはありません。


次に、今メキシコで働いている方々へ。メキシコ人と働いて同じ目線で打ち解けてほしいです。メキシコで好待遇で働いていて、ついつい自分が偉いと思ってませんか。好待遇で働けることに感謝をし、メキシコ人の中に入り、話を聞いてあげてほしい。色々なトラブルを彼らと乗り越え、一緒に仕事が出来、彼らと同じ感動や苦労を分かち合いながら、家庭や自分の悩みをきいてあげてほしいです。


メキシコ在住の日本人の方々にそんな想いを込めていますので、私は「写真を通した日墨文化交流」をずっと続けていきたいです。


MT:素敵なお言葉、とても身に染みるものがありました。本日はありがとうございました!


写真元URL:Shinohara ART & PHOTO www.shinohara-seiji.com



注釈:


 

経歴:

篠原 誠二 Seiji Shinohara

北海道生まれ。砂川市立中央小学校、砂川市立砂川中学校、公立砂川北高等学校 普通科(17期生)、北海道産業短期大学(現・星槎道都大学)卒業

26歳の時にメキシコに渡墨。メキシコ在住歴47年。

公益社団法人 日本写真協会 会員

COPARMEX グアナファト州 レオン地区 文化担当顧問

CLUB FOTOGRÁFICO DE MEXICO A.C. Fundado1949 国際文化交流理事

(社) 日墨協会 FOTO CLUB AZTECA NIPPON 代表

1995年~1996年日墨協会事務局長

2015年~2016年日墨協会理事 広報出版部長

これまでにメキシコシティ、モンテレイ、レオン、トルーカ、タパチュラで25の写真展を開催。


著書:"移民一世の肖像Retratos de los Inmigrantes Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2009)

"日系二世の肖像 Retratos de la Segunda Generación de Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2011)

"日系三世の肖像 Retratos de la Tercera Generación de Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2013)

"ARROTILLA 日本―メキシコ国際結婚の結実 Los Matrimonios de Japoneses y Mexicanos" (Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2015)

“Mi Mexico 俺のメヒコ” (2022)

 

編集後記


お話の引き出しが非常に豊富で、インタビュー中、こちらからの質問にも丁寧に答えていただきました。お話の中で一貫して感じたのが、篠原氏の写真に対する情熱と執念です。ご自身の執念である「この執念!この一枚!写真は執念!」が常に軸になっており、どの写真にもその執念が感じてきました。


メキシコ滞在歴46年と長い中、相当な努力や苦しい体験を乗り越えてきたと思います。何度も帰りたいと思っても、空港で見送ってくれた友人や育ててくれたご両親のことを考えると情けない姿は見せることができない。自分がこれまで行ってきたことに一切の後悔はない。

シンプルでも非常に重みのある言葉で、インタビューが終わった後でも編集部は一日中この言葉が頭から離れず、小さな悩みでも乗り越えていこうという前向きな気持ちになりました。


コロナウイルスのパンデミックも落ち着いた来年、また篠原さんの展示会を開催できるような世の中になればと思います。展示会に足を運び、隣で写真を眺めるメキシコ人の方と交流することで、より一層日墨交流の輪が広がることを願ってます。


本記事で掲載したお写真以外にも、篠原氏の作品は以下のウェブサイトで閲覧できます。見ているとあっという間に時間が経ちます。


 

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送信ありがとうございました

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