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(前編)写真家・篠原誠二氏「姉妹都市交流円滑の為、各姉妹都市で写真展を開きそれらの作品で写真集を作成したい」

更新日:2022年9月19日



第33回メキシコで頑張る人にインタビューは、メキシコ在住歴46年、メキシコシティの写真家・篠原誠二氏(前編)です。COVID19の厳しい環境の中にあっても、2021年1月にレオン市のForum Cultural Guanajuatoで開催された「HIROSHIMA」の屋外での写真展に足を運ばれた方もいらっしゃると思いますが、篠原氏の写真は全て白黒で撮影されています。


今回は特別に篠原氏のウェブサイトより数枚作品を拝借しましたので、篠原氏の写真展に足を運んだかのような記事に仕上げました。


インタビュー前編となる本記事では、篠原氏の奥様との出会いやメキシコに渡墨してからのエピソード、写真へのこだわりなどを語っていただきました。


篠原氏のこれまでの経歴などと合わせてご覧いただくことで、より一層作品の世界観に引き込まれていきます。是非最後までご覧下さい。

 

<目次>

 

1台のカメラが篠原氏の運命を変えた

MEXITOWN(以下、MT):篠原さんはメキシコに滞在されてもう46年になります。もはやメキシコが故郷ですね。


篠原氏:そうですね。メキシコに来たのが確か26歳の時です。私は北海道・砂川市で生まれ、当時の北海道産業短期大学(現・星槎道都大学)を卒業後コンピューターの専門学校に入り、その後横浜市戸塚区にあった日立製作所戸塚ソフトウエアに3年間勤務しました。その頃はコンピューターが出始めの頃でプログラム、システムの設計をしていました。働いているうちに「これは自分がこれからずっとしたい仕事なのか」と思うようになり、好きな英語を活かし、世界を駆け巡る営業マンを 目指そうと思い 、その為に必要十分な英語力を養う為にカリフォルニア州ロサンゼルスの語学学校に入学しました。


語学学校に入学して間も無くメキシコ人約20人が新たに入ってきました。彼らは日本への留学生(AOTS)でした。その中に二人の女性がいました。その一人が今の妻です。


始めの2週間は、口も聞きませんでしたが後半の二週間で急速に近づき仲良くなり、授業後も毎日のコーヒーデートが重なるうちに「此の人だ、此の人しかいない」そう思いプロポーズしました。たった2週間の交際でです。勿論、プロポーズは英語でした。


彼女は吃驚、でも私の真剣さを理解してくれて彼女もそのその気になってくれたと思います。プロポーズしてから三日後に、彼女は日本へ行ってしまいました。当時は、メールも無く国際電話代も高くて電話も出来ませんでした。


彼女がいなくなってから語学勉強も頭に入らず、居ても立っても居られない状態が続いたので思い切って退学、帰国して大阪に彼女に会いに行きました。彼女は一生懸命に日本語を勉強していました。


3日ほどで東京に戻り友人の家でゴロゴロしていましたが、大阪での3カ月の語学研修を終え彼女は目的地の愛媛県松山市 にある東洋レーヨン(現・東レ)の工場に行ってしまいました。未だ東京にいた私は、札幌に帰る前にしつこく彼女に会いに松山に行きましたがやはり3日ほどで彼女と別れ札幌市の自宅に帰り、北海道シャープ電機に入社しました。


そこから約7カ月後、研修を終えた彼女はメキシコに帰る前に札幌の僕の家に来ました。そこで、両親に紹介しました。勿論、両親は 吃驚です。1週間ほど市内を案内しましたが、メヒコに帰ってしまいました。


その後も文通を続け、忘れもしない12月31日の大晦日にメキシコを訪問し、年が明けて1月4日に役所に行き婚姻届を出し、それから教会で彼女の家族、友人、知人を招待し、結婚式を挙げました。盛大にパーティを行い、コスメル島に新婚旅行に行きました。


1月15日に一緒に日本へ帰って来ました。それから丁度1年後、北海道シャープ電機を退職し両親、家族とも別れメキシコに向かいました。篠原誠二26才の時でした。それから現在に至っています。


MT:出会いからプロポーズまで2週間!驚きました。メキシコに行くきっかけは奥様との出会いだったんですね。奥様への熱い想いが伝わってきました。そしてメキシコに渡った篠原さんですが、当時のメキシコは今とは大分違う環境だったと思います。


篠原氏:今でさえ日系企業の進出数は1,300社(注1)ほどですが、46年前はそれよりも少なかったです。メキシコシティの文房具屋(papelería)で働き家族を養うのに必死で、最低賃金で働く生活で疲れ、日本に逃げて帰りたいと毎日泣いていました。娘がハイハイして膝の上に来ます。娘を抱き上げ頬ずりして強く抱きしめながら、タバコを止めればミルクが一本買える、そう思いその時点でタバコもやめました。そんな苦しい経験をしながら何年か後、務めていた文房具屋のオーナーから厳しい条件ではありましたがお店を譲り受けました。


借金をきちんと返済しながら真面目に働いていたそんなある日、知人から「中古でいいカメラが手に入ったんだけれどいらないか?」と言われ、ハッセルブラッド(Hasselblad)のカメラを買いました。ハッセルブラッドは、夢のカメラです。誰もが憧れる最高のカメラです。もともと小学生の頃、友達からカメラを借りて、写真を撮ることが好きでした。最初は近所の子供や犬・猫、友達を撮っていてました。被写体をどんどん撮影していくうちにのめりこんでいき、365日写真のことしか考えなくなりました(笑)。そして、自分でメキシコを撮影しよう・「写真を通した日墨文化交流」を生涯やって行こうと次第に思うようになっていきました。


篠原氏が撮影してきたメキシコ各地の写真

カラフルな世界が白黒になることで、まるで違う世界になったよう

1枚目の女の子は篠原氏のお嬢様です


この執念!この一枚!写真は執念! 


篠原氏が実際に使っていたハッセルブラッドのカメラ

25年間使い続けた世界最高の名機です


MT:一つのカメラの出会いが篠原さんの人生を変えたんですね。さて、篠原さんのお写真は100%が白黒ですが、白黒の理由を教えてください。


篠原氏:写真の原点だからです。小学生の頃友達からカメラを借りて撮影していた時も白黒。確かにメキシコはカラフルなのに勿体ないといわれますが、カラーの写真は他の方が撮影して残していけばいい。真っ白から真っ黒になるまでのトーンを大切にする先代がしてきたことを継承していきたいという想いがあります。


また、私の写真は基本的に正方形です。普通は横長の写真が多いですが、被写体を真ん中に置いた場合、写真に余白が残ってしまいます。本当に見せたい部分を見せて、1点に集中できるので、正方形にこだわっています。


この執念!この一枚!写真は執念! 


常にこの想いを持って写真を撮るようにしています。


MT:篠原さんのお写真はおっしゃる通り、被写体が真ん中にあり、見る方もじっくりと、吸い込まれていくような感じがします。


篠原さんはこれまで23の写真展を開催し、グアナファト州・レオンでも今年2021年には、博物館Forum Cultural Guanajuatoの屋外敷地内でタイトル HIROSHIMA の写真展を150cm四方の大きさに引き伸ばした作品約25枚で開催しましたね。


篠原氏:COPARMEXの当時の会長 Ing.Jorge Ramirez 氏 からの依頼で Consejero Cultural

文化担当顧問と言う大変名誉な職責を頂きました。目的は、COPARMEXの会員とバヒオ地区にある沢山の日本企業とコンタクトを取りお互いに仕事を通じて助け合いたいという事でした。私は写真展開催を考え、COPARMEXより35人、日本企業から35人の社長さん合計70人の人達が撮った作品で写真展開催をグアナファト文化フォーラムの会場で行いました。開会式会場には出展者70名の他、沢山の企業関係者がご出席されました。当時の高瀬・在メキシコ日本国大使館大使の作品も出展頂きました。


開会式では、お互いの写真を見ながら、ワイン片手に、おつまみを頂きながらのスペイン語、日本語そして英語でコミュニケーションを取り仲良くなり仕事の話をして貰おうと思ったからです。これからも続けるつもりでいます。



後編では、姉妹都市交流を写真展と写真集を通じて行いたい想いと広島・北海道の写真、今メキシコに住む全ての方へのメッセージを語っていただきましたので、是非ご覧ください!


写真元URL:Shinohara ART & PHOTO www.shinohara-seiji.com



注釈:

(注1)出所:外務省『海外進出日系企業拠点数調査』2020年調査結果

 

経歴:

篠原 誠二 Seiji Shinohara

北海道生まれ。砂川市立中央小学校、砂川市立砂川中学校、公立砂川北高等学校

普通科(17期生)、北海道産業短期大学(現・星槎道都大学)卒業

26歳の時にメキシコに渡墨。メキシコ在住歴47年。

公益社団法人 日本写真協会 会員

COPARMEX グアナファト州 レオン地区 文化担当顧問

CLUB FOTOGRÁFICO DE MEXICO A.C. Fundado1949 国際文化交流理事

(社) 日墨協会 FOTO CLUB AZTECA NIPPON 代表

1995年~1996年日墨協会事務局長

2015年~2016年日墨協会理事 広報出版部長

これまでにメキシコシティ、モンテレイ、レオン、トルーカ、タパチュラで25の写真展を開催。


著書:"移民一世の肖像Retratos de los Inmigrantes Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2009)

"日系二世の肖像 Retratos de la Segunda Generación de Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2011)

"日系三世の肖像 Retratos de la Tercera Generación de Japoneses"(Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2013)

"ARROTILLA 日本―メキシコ国際結婚の結実 Los Matrimonios de Japoneses y Mexicanos" (Comunidad Japonesa en México Actualmente Fotógrafo oficial Fuji Film, 2015)

“Mi Mexico 俺のメヒコ” (2022)

 

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