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杉浦洋子教授インタビュー 後編「自分の定めた目標に向かってコツコツと進むことで、必ず最後には目標に到達する」

更新日:2023年7月11日

メキシコ国立自治大学等で長年人類学の研究をされている杉浦洋子教授です。


インタビュー前編では、杉浦先生の幼少期から上智大学での学生生活、メキシコに渡った後のことをお話しいただきました。後編では杉浦先生が考古学研究で大変だったこと・やりがいを感じたことや、海外で働く方・若い世代の方へのメッセージについて語っていただきます。

 

<目次>

 

辛い事があっても、日本に帰りたいとは思わなかった


ー異国の地での考古学の研究は体力的にもハードだと思います。杉浦先生のこれまでの考古学研究の中で、大事にしてきたこと・大変だったことをお話しください。


杉浦先生:考古学は社会学に関連したところがあります。それは現地の人との関わりを非常に大切にしなくてはいけないことです。その土地を大事にしていかなくてはいけません。学問だけをやり続ける事や学者同士で話し合うのは意外と簡単なことですが、考古学のことを一般の人に伝えることが、それなりに難しい点だと感じます。よほどはっきりしたアイディアを持ち、分かりやすい言葉で伝えなければ通じ合えないです。


ー一般の方と合わなかったこともあったのでしょうか。


杉浦先生:一緒に野外調査をしていた学生2人が村人と問題を起こし、村中の人に取り囲まれました。1979年頃、石油の井戸に子供を投げ入れるという噂があり、その噂の一つとして日本人のエンジニアであるということから村中の人が嫌悪感を抱くようになりました。学生が乗ったジープを村中の方が囲んで火をつけると脅かされ、学生を人質にしていました。私は山の上にいたので急いで駆け下り、無事学生たちも解放されました。そういうこともあり、野外調査では色々なことが起こりえるので、常に責任感を持つように心がけていきます。 


また70年代のメキシコは今ほど衛生状態がまだよくない頃でしたので、野外調査から帰るたびにサルモネラ菌、赤痢菌におかされました。私自身も身体がそこまで丈夫ではなかったので、息子を出産した1ヶ月後半身不随になり、ベッドに半年くらいずっと寝ていました。幸い全て克服することができたので、今はとても元気に過ごしています。


ー異国の地で病気になると日本に帰りたいと思う方が多いと思いますが、杉浦先生も日本に帰りたいと思うことはありましたか。


杉浦先生:それでも日本に帰りたいと思うことはなかったです。日本を出てから12年間帰ることがなかったですね。12年後帰国した時まず驚いたのが鎌倉の道が狭い事!すべてがメキシコと違いました。日本語も出でこなかったです。家では英語、外ではスペイン語で、日本語を使う機会がなかったからです。


ー12年間も!そして日本に帰りたいと思ったことがなかったというところからも杉浦先生の強い意志を感じます


杉浦先生:大事にしていることをもう一つあげるのであれば、どの仕事にも言えることですが自分のパッションというものがなければいけないと思います。何かやるという情熱は人生としての生きがいに繋がります。私の主人はよく「不幸な天才よりも、幸せなくず拾い。その方が自分はいい」とよく話していました。幸せであることは何か自分で持っている情熱というもの・目標に向かって生きていくことです。


穴だらけの偏った歴史が生まれないよう、昔の日常生活を伝承していく



ー杉浦先生は50年近く、メキシコ州のToluca(トルーカ)盆地を発掘し、研究しています。メキシコには大きな遺跡が多い中、トルーカ盆地に焦点を当てているのは何故でしょうか。


杉浦先生:仰る通り、メキシコにはティオティワカンやマヤ遺跡など、大きな遺跡が多くあります。そうした大きな遺跡を研究する方が研究に必要な資金を得るのも非常に簡単です。


それでも私がトルーカ盆地に目を向けたのはまずその立地にあります。トルーカ盆地はメキシコ盆地のすぐ隣にあり、レルマ川が流れていて歴史的に重要な場所にもかかわらず、メキシコ盆地に目が向いています。日本では家を建てる時に発掘調査をしますが、メキシコでは村の方が自分で家を建てていくので、古い人間が生きていた日常生活が消えてしまう恐れがあります。特に私が研究しているような一般の方が生活している小さな土地では、分単位で昔の日常生活消えていってしまうと思います。そうしたところを結局我々が研究していかないと消えてしまいます。


メキシコの歴史というのは大きな政治・偉大なリーダー・大きな遺跡がメインとなっています。スイスのチーズみたいに穴ぼこがあっても埋められないーそういう面で偏った歴史というものが産まれてきてしまうのではないかと懸念しています。


一般の方で名もない人が社会の底辺にいて、社会はそういう方々がいなければならない。一般の人間がどういう生活をしていたのかに興味があるからここまで続けてくることができました。脚光を浴びる分野でもないので資金を取ることに大変苦労しましたが、そうした問題もクリアできたので、非常にやりがいのある仕事だと思います。


良い学生とは、常に目標を定めて、目標に向かってコツコツと進んでいく学生


ーこれまで多くの学生の方と交流をしてきた先生ですが、先生の思う良い学生像は何でしょうか。


杉浦先生:良い学生を育てることには大変時間がかかります。先ほどもお話しした通り、良い学生というのは、常に目標を定めて、目標に向かってコツコツと進んでいく学生です。常に興味を失ってはいけない、好奇心を持つことでそれがオリジナリティに繋がっていきます。また、メキシコ人の学生に謙虚であるということを伝えることに非常に苦労しました。自己主張が強く、自分はここにいることをアピールするよう教えられてきたからです。


メキシコの人間性は日本とは全く違います。いわゆる個人主義であり他人はどうでもいいといった傾向もあります。ただ、いつどんな時にでも、約束がなく訪問してもBienvenido!と出迎えてくれるーそういうところに温かみがありますね。 

 

そんな学生に伝える事は、「正直でなくてはいけない。先生になった時には常に学生を大事にしなければいけない」です。生徒の間ではどうやらとても厳しい先生といわれているようですが、学生には時間を割き、いつ訪問しても相談に乗ってくれるといわれています。学生の方と共著を出すときも常に彼らの名前も入れ出版するように心がけています。


そんな3年くらい前のある日、突然1通のメールが来て、Homenaje があるから来てほしいといわれました。すると本当にメキシコ各地の遠くから多くの学生がやってきてお祝いをしてくれました。あれはトルーカの講堂で、多くの学生が来てくれましたので、本当に嬉しく、やりがいを感じましたね。 



ミュージアムが昔の豊な生活を若者たちに伝える役割を果たせるようにしたい


ーそのトルーカ盆地に杉浦先生はミュージアムの開館に向けて現在も動いていらっしゃいます。ミュージアムのご紹介をお願いします。


杉浦先生:4年前にUNAMを退職し、トルーカにあるEl Colegio Mexiquense研究所に転籍しました。そこを考古学の研究をする場所とし、これまでやってきたことを学生と一緒に成果物として残していきたいと考えています。


トルーカ盆地には湖と呼ばれていたものがありますが、環境問題で酷い状況になっています。これまでは魚や鳥を摂り、湖の植物や海老を収集するなど、生活の拠点としていたところが、20年ほど前から環境が悪化し、そうしたことも今は殆ど不可能になってしまいました。


そうした昔の生活の在り方を現代の若い人達がいかにして昔の記憶を知り、アイデンティティを失わずにすむか。ミュージアムを創れば昔はどうであったか、どういう豊な生活を保つことができたかを若者たちが理解してくれるーそういうことを伝えていきたいです。 



2021年12月30日にミュージアムはプレオープンしましたが、まだ全て完成していません。メキシコで水をテーマにした唯一のミュージアムとして、水は非常に重要なテーマであり、いかに良い環境を保つかを訪れた方々に理解して頂きたいです。完成に到達するにはやらなければならないことがありますが、完成したら素晴らしい博物館になると思っています。


ーそうした杉浦先生の想いが、多くの若い方たちに理解して頂けるといいですね


杉浦先生:メキシコでは文化のプライオリティが低いと感じています。文化は一番重要であるべきなのに、治安の悪化や汚職など、メキシコ人自身にアイデンティティがもう少しあれば、もっと別の社会というものもできているのではないかと考えています。そうした面でもミュージアムがトルーカ盆地にはかつて多くの水源があり、人々の生活拠点だったことを認識し、もう少し環境問題を意識していただく場となりたいです。 

 

自分が決めたものはどんなことがあっても続けるべき



最後に、杉浦先生のようにメキシコで長年研究を続ける女性の方は多くはないと存じます。そこで、日々メキシコで奮闘する日本人の方・これから海外に出ようと考えている方にメッセージをお願いします


杉浦先生:56年近くメキシコで生活をしていて考える事は沢山あります。まずは、どこにいても自分のいる場所と国の良いところ・悪いところをよく理解することが必要不可欠です。


また、先ほども述べましたように目標をしっかり定め、それに向かってコツコツと進んでいくことです。今の若い世代の方は生活自体のリズムも早く、ターゲットをすぐにでも掴みたいと思う方が多いかもしれませんが、かえってそれは逆効果です。長い事同じことをコツコツと行っていけば、必ず最後には到達することができます。常に自分に正直に生きる事が重要で、そうすればいつ・どこで活躍していても、生きるということの満足感を得るものです。それが本当の活躍といえるのではないでしょうか。 


よくメキシコで現地採用の方は自分が置かれている状況に不満を持ち行き詰っていく話を耳にします。もしそう感じるのであればちゃんと周りの方に伝え、なるべく理解を得るということが必要です。 


日本があまりにも安泰しているため、日本から出ない若い方も近年多いと聞きました。日本は国際社会になっているとはいえ、そういう感じがあまりしません。非常に閉ざされた社会で、個人の能力が潰されてしまうのではないかと懸念しています。メキシコでは自由に生活でき、自分の好きなことを表現できるような環境です。


世界は小さくなっていて、行き来が自由です。どこに行くにも障害はない時代です。読者の方で海外に出ようか迷っている方、どんどんチャレンジしてください

 

最後になりますが、自分が決めたものはどんなことがあっても続けるべきです。トルーカ盆地を研究するということが私にとっては使命です。そう決心をするまでには色々考えましたが、到達したら進むべきだと思い、これまでやってきました。今は100歳まで生きる時代と言われています。いかに毎日を充実するべきか・いかに死ぬ前に満足して死ねるか、そして


素晴らしい方々にに巡り合えて、私はとても幸せだった 


と思えるような人生を送ってください。

 

ー素敵なメッセージ、どうもありがとうございました。

 

経歴:

杉浦(山本)洋子 Yoko Sugiura Yamamoto


1965年 上智大学イスパニア語学科卒業

1973年 メキシコ国立人類学、歴史学学校、メキシコ国立自治大学、人類学(考古学専攻)修士号

1991年 メキシコ国立自治大学、人類学博士号(考古学専門)

1968年―1970年 メキシコ国立自治大学、外国語学部講師

1969年―1974年 El Colegio de Mexico、アジア、北アフリカセンター講師

1977年―1982年 国立科学技術省 (Consejo Nacional de Ciencia y Tecnologia)所長顧問(アドバイザー)、Ciencia y Desarrollo 編集アドバイザー

1980年―1991年 メキシコ国立人類学歴史学学校講師

2000年―2013年 メキシコ国立自治大学、人類学大学院課程教授

1975年―2017年 メキシコ国立自治大学、人類学研究所 専任主任研究員

2018―現在 El Colegio Mexiquense A.C. 特別研究教授

1992年―2000年 国立考古学審議会員

1994年―1996年 国立科学技術省、人文科学部審査委員会員

2001―現在 Ateneo de Estado de Mexico A.C. 名誉会員

2009年 メキシコ国立自治大学、Sor Juana Ines de la Cruz 章、受賞

2021年 メキシコ州科学技術賞、人文、社会学部門受賞 (Premio Estatal de Ciencia y Tecnologia) 

2023年 Sustema Nacional de Investigador, nivel III, emerita (名誉)


学会:Conacyt評価委員会(大学院研究者、プロジェクト、SNI)、アメリカ考古学協会(SAA)、メキシコ人類学協会メンバー


受賞歴:

・2009年 Sor Juana Inés de la Cruz otorgado por la UNAM 取得

・2010年 Antonio García Cubas Award 科学部門 佳作受賞

・2021年:Premio Estatal de Ciencia y Tecnología 受賞


主な書籍:


1: -2009. Sugiura Yamamoto, Yoko (coordinadora), La gente de la ciénega en tiempos antiguos: la historia de Santa Cruz Atizapán, El Colegio Mexiquense-UNAM, ISBN 978-607-02-0733-4, (2010年度、INAH, México, Antonio Garcia Cubas 科学部門慧作受賞)


2: -2016 Sugiura Yamamoto, Yoko, José A. Álvarez y Elizabeth Zepeda (coords) La cuenca del Alto Lerma: Ayer y hoy, Su historia y su etnografía,El Colegio Mexiquense, Comisión para la recuperación de la cuenca del Alto Lerma, Gobierno del Estado de México, Toluca, pp. 499, ISBN:978-607-495-478-4


3: -2018Sugiura, Yoko, Carmen Pérez, Elizabeth Zepeda y Gustavo Jaimes (ed), Acercamiento a un sitio lacustre: métodos, técnicas e interpretaciones de un mundo prehispánico en la cuenca del Alto Lerma, Universidad Nacional Autónoma de México, ISBN 978-607-30-0033-8,pp.442.


4: -2020 Sugiura Yamamoto, Yoko, Gustavo Jaimes Vences, María del Carmen Pérez Ortiz deMontellano, y Kenia Hernández (coord.),Cerámica y vida cotidiana en la sociedad lacustre del Alto Lerma en el Clásico y Epiclásico (ca. 500-950 d.c.), El Colegio Mexiquense A.C., ISBN: 978-607-8509-54-6


5: -2021 Sugiura Yamamoto, Yoko, Gustavo Jaimes Vences, María del Carmen Pérez Ortiz de Montellano y Rubén Nieto Hernández (Coord.), El estudio de la cerámica cotidiana del valle de Toluca desde una perspectiva arqueométrica”,El Colegio Mexiquense A.C.,ISBN: 978-607-8509-85-0


 

編集後記


戦後の過渡期の中で、日本から出て自分らしい人生を送りたい。女性として伸び伸びと生きるにはこのままではいけないという強い意志をひたすら持ち続けた杉浦先生。女性の社会進出がまだ現代ほど浸透していなかった時代で色々な意見があったと思います。それでもご自分がメキシコに渡り、人類学を50年以上研究されてきました。その中であった様々な人との出会いが杉浦先生の生き方を変え、影響を与えてきたこともインタビューを通じて感じました。


インタビューの中で繰り返し仰っていた「目標を持ち続け、最後までコツコツ続けていけば必ず達成することができる」。シンプルな一言で頭の中では理解しても、杉浦先生のおっしゃるように我々若者は何でも手に入りアクセスがしやすい世の中で急いで目標に達成することばかり目がいきがちになっています。焦らず、コツコツと続けていくことで満足感を得て、自分の人生とても幸せだった・とても活躍することができたと初めて思うことが出来るのだと痛感しました。


杉浦先生の言葉一つ一つに説得力があるのは、大きな遺跡ばかりに世間が目が行く中で、トルーカ盆地をひたすら研究し続け、ミュージアムの開館まで着実に動いているからです。豊かな生活があったトルーカ盆地の様子を未来に伝承し、ミュージアムが少しでもメキシコの文化が豊になることに繋がればと、編集部も強く願っています。

 


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