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メキシコで完全燃焼した桜井文生氏に、人の管理の大変さを語っていただきました

メキシコシティなどにあるレストラン・サントリー。一度行ったことがある方は、その場所のサービスの良さや日本を感じる雰囲気に感動したことと思います。この企業努力の裏には1人の日本人の努力がありました。桜井文生氏は21年間メキシコでレストラン・サントリーを管理・運営してきました。そこにはどのような工夫があったのでしょうか。今回は桜井氏がサントリーに入社する前のエピソードも含めてお話しいただきました。

 

<目次>

 

ブラジルのインターナショナルスクールから日本へ


ー外国語学部に入りたいと思ったきっかけをお話しください。


桜井氏:父親の仕事の関係で高校3年間をブラジル・サンパウロのインターナショナルスクールに通っていました。


卒業後の大学進学は、日本、アメリカ、ブラジルの3つの選択肢がありましたが、英語とポルトガル語が大学受験レベルに達していなかっため、日本での大学進学を希望しました。


ただ、当時は今のように帰国子女を受け入れる大学がほとんどなく、帰国子女対象の入学試験を取り扱っていた上智大学を受験しました。


上智大学に入れたらどの学部でも良かったのですが、試験科目に英語、国語、小論文以外にポルトガル語が含まれていた外国語学部ポルトガル学科を選択しました。


高校3年間はポルトガル語の勉強はしていたので、他国からの受験生に比べ有利になるのではないかという安易な考えからです。従って、ポルトガル語を勉強して将来何かやりたいという目標や夢があったわけではありません。


入学当初からすでにポルトガル語がある程度わかっていたので、日本の一般の高校から入学してABCから勉強を始めた学生に比べると非常に優位な状況で大学生活をスタートさせることができました。


ー大学生活はどんな風に過ごされましたか。


桜井氏:中南米研究会に所属していました。当時は立ち上がったばかりで、現在とは違った形だと思いますが、とにかく何か目立ったことをしたいという気持ちが強かったころです。当時、上智大学の周辺を歩くちょうちん行列というお祭りがあり、そこでサンバを踊りました。


ーちょうちん行列でサンバですか?!それはとても目立ちますね。


桜井氏:当時はサンバ用の楽器が日本国内で入手困難だったため、まだブラジルに住んでいた両親にお願いして楽器を2~3個送ってもらい、必死に練習しました。上智大学の隣の真田堀で練習して、近くの料亭の方からうるさいなんていわれ、数ヶ月後「上手になってきたわね」と言われたことも良い想い出です。


自分は運が良かった


ーメキシコに行くまでのご経歴・その後メキシコに行った経緯までを教えてください。


桜井氏:上智大学のキャンパスから当時はサントリーのビルの上にあるロゴが見えていたため、学生時代からサントリーは身近なものでした。就職活動をするときにサントリーが当時ブラジルでの事業に力を入れていることを知り、面接を受けて入社しました


ーポルトガル語を活かした仕事に就くことが出来たということですね。


桜井氏:自分でも思いますが、大学受験・就職…どの場面においても運が良かったといえます。その運の良さを活かし、周りに感謝することで私のメキシコでの生活や仕事も充実したものになったと思っています。


サントリーに入社後は同社がブラジルサンパウロで売上2位のスパゲティ会社を買収したので、主にその会社の管理業務を日本からサポートしていました。4年後にはブラジル勤務を命ぜられ、実際に現地でこの会社の運営に携わりました。その後、スペインに異動し、同地では蒸留酒の製造販売会社及びレストラン運営に携わりました。そろそろ日本に帰されるのかなと思っていたら、今度はメキシコ勤務の辞令が出て驚いたのを覚えています。ただ、レストランビジネスを展開しながらそこでサントリーのお酒を販売するビジネススタイルは、ブラジルやスペイン同様メキシコでも定着していたので、メキシコでの業務をスムーズにスタートさせることができました。


人の管理に一番苦労した


ー確かにメキシコシティ・グアダラハラ・アカプルコ・プエブラにあるサントリーのレストランはどこも日本料理だけでなく、サントリーのお酒も種類が豊富です。日本料理に合うお酒を上手にお客様に楽しんでいただく工夫はさすがです。そうした努力の裏には、様々な出来事があると思います。メキシコのサントリーを運営していく中で、苦労したことは何でしょうか。


桜井氏:メキシコでの人材育成に関するセミナーを何回も実施させていただきましたが、とにかく人(従業員)の管理に苦労しました。メキシコに来るまでは社長として販売やマーケティング戦略の仕事が中心だと考えていましたが、実際は人(従業員)に絡む仕事が7~8割を占めました。ブラジルやスペインでも社長としてサントリーの関係会社の運営に携わりましたが、メキシコはビジネス(レストラン)の特性上、人がらみの仕事が多かったように思います。


メキシコでのビジネスの中心は9店舗のレストラン運営で、そこに900人の従業員が働いており、離職率が4割を超える中での高品質なサービスの安定した提供が必須であったためです。


特に、我々はメキシコのNo.1レストランを目指していましたので、いかにお客様に満足いただける高品質なサービスを安定して提供できるかが課題で、そのために従業員の人事管理や人材育成に非常に苦労しました。


左上から鉄板焼き研修会、マネージャー研修会、ワイン研修会、懐石研修会の様子

さらなるサービスレベルの向上を目指して、社内では色々な研修会が実施されています


他店では真似が出来なかった従業員保障で、ブランドイメージを保つ


ーまた、COVID19禍であっても、サントリーは1人も従業員を解雇せず、そうした点もお客様や従業員の方から支持されています。


桜井氏:「会社は従業員のことを考えている」という考えが念頭にあります。COVID19禍の大変厳しい状況にあっても、従業員のモチベーションをUPし、頑張ってもらいたいからこそ解雇という選択肢は取りませんでした。そうした取り組みが従業員のみならず、メキシコ人のお客様からも良い評価をいただきました。


またサントリーではSNSの情報収集をする部署があり、サントリーのレストランにお越しいただいたお客様の投稿やご意見をしっかり拾い、レスポンスをしています。その中の一つで、


「知っていますか?レストランサントリーはこの大変な時期に、すべての従業員の給与を保証して、さらにチップ補償までしているようです。これはとても他の店では真似できない素晴らしいことだと思います。今、僕はそのサントリーに行く途中ですが、そんなレストランに行くことを誇りに思います。」


と投稿されていたことは嬉しかったです。最終的にこうした情報収集およびお客様の意見に向き合うことは、ブランドイメージの向上にも繋がっていきます


COVID19禍では赤字になったこともありましたが、今ではCOVID19前 よりも良い業績にまで戻ってきました。


実際にお客様がSNSに投稿したビデオ


メキシコが好きになれなかった?!


ー桜井さんの21年間のメキシコ生活を振り返って、印象に残ったことを教えてください。


桜井氏:先ほどの経営して行く上で苦労した内容と関係しますが、とにかくメキシコ人を理解する上での人間観察に終始した21年間のメキシコ生活だったように思います。


メキシコ着任時からメキシコに対するイメージが悪くて(ブラジル人と比べるとなんか陽気なようで陽気でない。むしろ陰気だ。スペイン人のようにストレートにきつく話さないが、なんか媚びへつらう感が強く、裏で何を考えているかわからない。)メキシコが好きになれませんでした。特に、ビジネスやお金が絡むと、その思いは益々強くなっていきました。


しかし、酒類の会社を清算せざるを得なくなった時、自分が解雇されるのがわかっていても何十年も働いた会社への感謝を忘れずに、最後まで協力してくれた多くのベテラン従業員がいたことにメキシコ人に対する見方が大きく変わったことが印象に残っています。(日本のように義理人情を重んじる人もいることに驚きました)


また、ビジネス以外で利害関係なく知り合ったメキシコ人の友人がたった一人だけいますが、今も連絡を取り合っており、当初「こんな国では友人なんて一人もできない」と思っていた自分にとってはうれしい誤算です。


ー現在はサントリーを退職され、日本で生活される桜井さんです。


桜井氏:メキシコではビジネスをどう成功・成長させるか・自分の強みをいかに活かしていくことができるか、にとにかく集中していたのでメキシコの文化や食文化を楽しむことをあまり考えていませんでした。ちょっともったいなかったかもしれませんね(笑)。メキシコでやりたいことを燃焼したので、「やり残したことはない」と断言できます。65歳まで必死に頑張って働き、それ以降は何もしないと決めてましたので、あとは健康に死ぬまでどう過ごしていこうか、今は模索している状態です。


誰に対しても相手をリスペクトして誠実に向き合う姿勢を持つこと


ー最後に、メキシコでこれから働く・現在働いている方へのメッセージをお話しください。


桜井氏:日本人であろうとメキシコ人であろうと、まずは誰に対しても相手をリスペクトして誠実に向き合う姿勢を持つことが重要だと思います。


メキシコはヒエラルキー社会でYESマンが多く、今まで多くの日本人駐在員を見てきましたが、それを鵜吞みにして従順なメキシコ人に対して小ばかにしたり横柄な態度をとる日本人を何人か見てきました。


メキシコ人は表面上は従順に見えても、彼らはプライドが高く、人としてリスペクトした態度で接しないと、その時だけで、後で仕返しされるケースが多いように思います。もちろんリスペクトして接していても、見事に裏切られるケースもありますが。


また、リスペクトするだけでなく、情報の共有化及び健全な評価が必要だと思います。

自分が何をしたいか、そのために何を望んでいるか、またそれをいつまでにやってほしいかを詳細に説明し、情報を共有化する必要があります。更に、それによって出た結果をしっかりと評価してあげることが、より健全なメキシコ人との関係構築につながると考えています。


最後に、ご自身の意思ではなくメキシコにいらした読者の方もいらっしゃると思います。そうした方は特に日々どうメキシコで過ごしていけばいいのか余計に辛いと思うでしょう。でも、安心してください。前述でも少しふれたように、いかに自分の強みを活かしていくことができるのか、です。無理に周囲と合わせようとせず、自分の持つものをメキシコでどう伸ばしていくことが出来るのか。そう考えを変える事で、少し肩の力も抜けると思います。


ーありがとうございました!


経歴:

桜井 文生 Fumio Sakurai

1975年 ブラジル インターナショナルハイスクール卒業

1980年 上智大学 外国語学部 ポルトガル語学科卒業

1980年 サントリー(株)入社 国際部配属

1983~1985年 ブラジル ゼツリオバルガス大学 MBAコース 社費留学

1986~1990年 財務部

1990~1994年 サントリーブラジル 社長

1994~2000年 サントリーマドリッド事務所 所長

2000~2021年 RSサントリーメキシコ 社長 (2014~2016年 Beam Suntory Mexico GM兼務)


 

編集後記


メキシコに数店舗構えるレストラン・サントリーを長年管理されていた桜井氏。ポルトガル語を学んでいた環境からスペイン語の環境に入り、さぞ苦労が尽きなかったのかと思いインタビューに臨みましたが、ご自身は何度も運が良かったことと、自分の強みをいかに活かせるかということをインタビュー中何度も強調されていました。


当時サントリーがブラジルの事業に力を入れていたことを把握し、サントリーに入社されていたことや、情報収集を欠かさずに行うようにSNS情報収取の部署を設置するなど、しっかりと自分の強みと情報収集を上手くマッチングさせている方だと感じました。そうした努力の延長戦でビジネスを成功されている。運が良いというのはただ待つものではなく、桜井氏のように人にはあまり見せず、影で努力し、従業員や周りの方からの人望が厚いからこそ、運が良くなるのだと思いました。


21年間のメキシコ生活でやり残したことはない!とはっきり断言されていたのも、様々なご経験があったからこそ言えることですね。そんな桜井氏の言葉は一つ一つが心に響きました。

 


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