本清耕造・駐メキシコ特命全権大使インタビュー:再びこの地へ、“現在のメキシコ”と“未来の日墨関係”
- MEXITOWN
- 5月19日
- 読了時間: 8分

2024年11月末、在メキシコ日本国大使館に新たに赴任された本清耕造・駐メキシコ特命全権大使。着任以降、メキシコの地方都市を積極的に訪れ、文化イベントに参加されたり、時には歌を披露されたりと、親しみやすさと情熱がにじむ大使として話題です。そんな本清大使に、今回MEXITOWNはインタビューをさせて頂きました。
<目次>
歴史的な場面をリアルタイムで目撃してきた

― 大使のこれまでのご経歴、特に印象に残っていることについてお話しください。
本清大使:私は1987年に外務省に入省し、1990年に最初の海外勤務としてメキシコに来ました。1992年までの2年間、メキシコシティで勤務いたしました。着任当時、メキシコの大気汚染が非常に深刻で、世界でも最悪レベルと言われていました。今では大使館から遠くの山々が見えますが、当時はそれすら見えなく、数十メートル先でさえも霞んでいました。その環境を少しでも改善しようと、日本輸出入銀行※1と協力し、日本の技術を用いてガソリン無煙化プロジェクトを実施したりOECF※2と植林、重油・ディーゼル油の脱硫プロジェクトの支援を行ったりもしました。
日本に帰国後、1995年にはメキシコを含むラテンアメリカ諸国を担当する課に配属になりました。1996年には在ペルー日本大使公邸占拠事件が発生し、連日その対応に追われていました。当時、駐メキシコ特命全権大使を務められていた寺田輝介大使が事件の対策本部を設置し、日本時間の夜中に現地の状況を収集するという、ほとんど家に帰れなかった時期もありました。
そして、2003年から2005年まで、在インドネシア大使館に勤務していました。その間、テロが頻繁に発生し、日本人の方々の安全確保に大変苦労しました。また、2004年12月にはスマトラ島沖地震が発生し、大津波による甚大な被害が発生しました。スマトラ島のバンダ・アチェ市は壊滅的な被害を受け、現地に大規模な支援拠点を設置し、自衛隊やJICA(国際協力機構)と協力して支援活動を行いました。
加えて、同年、2004年には北朝鮮による拉致被害者である曽我ひとみさんのご家族の日本帰国手続きにも携わっていました。北朝鮮政府との交渉を現地で行っておりましたが、非常に困難な手続きでした。スマトラ沖地震、北朝鮮拉致被害者のご家族の帰還という、読者の皆様も記憶にある歴史的な出来事を前にしながら仕事をしてきました。
―その後、メキシコとの関係では、EPA交渉や在レオン日本国総領事館の設立にも携わってこられました。
本清大使:はい。2009年から2011年まで、中南米局中米カリブ課長を務めていた際には、日本とメキシコの経済連携協定(EPA)の見直し交渉も担当しました。2011年に課長としてのポストが終わる頃に交渉がまとまりました。それがきっかけとなり、その後、日本からの自動車部品の輸出が容易になり、メキシコからの農産品の輸入も広がりました。そして、2013年から2015年まで大臣官房会計課長を務めていた際には、在レオン総領事館の立ち上げにも携わりました。これらの勤務を経て、今回こうしてメキシコに大使として「帰ってきたなぁ」と実感しました。
目の前の仕事に全力で向き合い、多くの対話を重ねる
―大使が大切にしている「日課」や「習慣」は何でしょうか。
本清大使:特別なルーティーンはないですが、「目の前の仕事に全力で向き合う」というのが自分の信条です。あとは、できるだけ現地の人たちと実際に会って、対話すること。それが外交の原点だと思っています。
仕事以外のことでいえば、実は、ラテンアメリカに赴任した時にいつでも踊れるようにと、ズンバを練習してきました。そのため、今年出張でオアハカに行った際、現地の方々と一緒に踊ることが出来てとても楽しかったです!
―趣味として読書もされるとのことですが、どういった本を読まれていますか。
本清大使: 最近は、マルクス・アウレリウスの「自省録」に加えて、イスラムに関する本を読んでいます。インドネシアに2度赴任した経験と、前任地のジュネーブの国連代表部で人権関係の仕事にも携わっていたことから、宗教が国際関係や政治に深く関わることのある種の難しさに気づかされました。そのため、異なる文化や価値観を持つ人々との共存について、自分なりに考えていく必要があると感じています。国民の大半がカトリックであるメキシコに住んでいても、イスラムに関する書籍を読み続けているのは、こうした課題について深く理解を深めたいと考えているからです。
― 大使が感じる、メキシコの「ここがいい!」というポイント、ぜひ教えてください。
本清大使:やはり、人と人との距離感の近さですね。メキシコの方々は本当に温かくて、初対面でもすぐに心を開いてくれるように感じます。キャンディーズの「微笑がえし」ではないですが、目と目が合えば微笑んでくれるような陽気さや助け合いの精神は、日本でも大切にしたい部分であると思います。日本社会全体が緊張せず、メキシコの人々のように微笑みを返すようなコミュニケーションの習慣がもっと浸透すれば、より日本も住みやすくなるのではないかと個人的に思っています。
変わる経済、変わらぬ課題——深化する日墨関係と日本の役割
―大使の視点から、今後10年間で日本とメキシコの関係はどう変化すると考えていますか?
本清大使: 今後10年間は、両国関係がますます深化していくと考えています。
1990年代にメキシコに駐在していた頃と比較すると、現在メキシコの一人あたりのGDPは10倍に成長し、経済大国として大きく変貌を遂げました。一方で、国内の南北格差は依然として課題であり、私も出張で訪れた南部の地域では、携帯電話の電波が届かない場所も存在するなど、変化していない部分もあります。
こうした状況の中で、今後も日本はメキシコにとって重要な役割を担っていくでしょう。例えば、30年前にはフォルクスワーゲンや日産のTSURUがメキシコで主流でしたが、今では多くの日本車が街中を走っています。今後のUSMCA (米国・メキシコ・カナダ協定) の動向次第ではありますが、日本とメキシコの経済関係は今後も良好な状態が続くものと期待しています。
さらに、日本政府はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)メキシコ事務所と連携し、難民の方々と日系企業のマッチング事業にも力を入れていきます。今やメキシコは難民を受け入れる国であり、難民の方々も定住した土地で仕事をし、経済的に自立していく必要があります。そのため、本事業の目的は、主にバヒオ地域にある企業による難民の方々の雇用を通じて、難民の方々の社会的包摂を促進することです。前任地のジュネーブでは、地球規模課題の一つとして難民問題にも取り組んでおりましたので、その経験を活かして、メキシコにおいても取り組みを進めていきたいと考えています。
ステレオタイプを超えて、メキシコの奥深さを体感してほしい

次の世代の日本人(若者)に、メキシコについて知ってほしいことをあげてください。
本清大使:メキシコは、よく「危ない国」「テキーラ」「マリアッチ」というイメージだけで語られがちですが、それはほんの一部です。実際には、メキシコは日本の国土の5倍で、文化的にとても豊かで、人も優しく、歴史ある国です。
特に、2026年のFIFAワールドカップは、メキシコ、アメリカ、カナダの3ヶ国共同開催となります。このイベントを通じて、世界中の人々がメキシコの多様な魅力に触れる機会が増えることが期待されます。
昨年はメキシコから日本への観光客が過去最高の15万人を超え、メキシコの人々が日本にどれほど興味を持っているかがわかります。日本人の方にもメキシコに興味を持っていただき、相互理解がさらに深まることを願っています。
そして今、メキシコ中の街並みに彩りを与えている※3ハカランダをメキシコに持ち込んだのは、日系人の松本辰五郎氏です。ハカランダがメキシコに持ち込まれて以来、メキシコ人に愛される花となりました。春に花を咲かせる情緒は、日本の桜と通じるものがあります。
これから日本とメキシコは、より一層、様々な分野で協力し合っていかなくてはなりません。メキシコは日系社会とともに発展し、他国の文化を吸収してきました。こうした姿勢から日本人は学ぶべきことがたくさんあると思います。若い世代にはぜひ、一度現地を訪れて、自分の目で、肌で、メキシコを体験してほしいですね。
大使館は、皆さまのそばにいます
-最後に、MEXITOWN読者へのメッセージをお願いします。
本清大使:メキシコに住む皆様、そして日本からメキシコに関心をお持ちの皆様には、日本とメキシコの架け橋となって頂けたら幸いです。
この地に戻って来られたことを大変嬉しく思います。皆様がメキシコで安全で充実した生活を送れるよう、大使館としても全力でサポートして参りますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 大使館の活動などについて、何かご意見やご質問がございましたら、いつでも大使館代表メールまたは窓口までご連絡ください。
経歴:
本清耕造(ほんせい こうぞう)駐メキシコ特命全権大使
東京都出身。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、1987年に外務省入省。日本では中米カリブ課長、大臣官房会計課長やJICA理事、軍縮不拡散・科学部長などを歴任、在外公館では在メキシコ日本国大使館、在インドネシア日本国大使館、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部などを経て、2024年より在メキシコ日本国特命全権大使。
※1 現・国際協力銀行(JBIC)
※2 海外経済協力基金(Overseas Economic Cooperation Fund)
※3 本インタビューは2025年4月上旬に行われました。
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