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MEXITOWNの中の人の人生その①

2020年11月10日
読了時間: 8分


(2026年6月リライトしました)


Hola!これまで色々な方にインタビューを実施してきて、本当に自分がためになることだらけで、いい企画をすることができたなと思っています。ご協力いただいた皆様にはこの場をお借りしまして、改めてお礼申し上げます。他の特集記事も気に入っていただいているとのお声を頂いており、とても感謝しております。皆さんの好きな情報が見つかる Find you Mexicoのコンセプトがぶれないよう、引き続きアップデートしていきますので、よろしくお願いします!


さて、MEXITOWNの管理人はどういった人なのか?このようなことをたまに聞かれます。

普段取材する側の方が多いので、こうして自分のことを話すのはかなり照れくさいですが、是非ご一読ください。MEXITOWNという情報サイトが生まれた背景も分かり、より読者の方がサイトを閲覧する際に楽しんでいただければと思います。


まず、年表的にはこうなってます


1983年 茨城県生まれ ←歳ばれてますね

よく、この顔立ちから「ハーフ?」「台湾人?」「ロシア人?」と言われることが多々あり、東京タワー・秋葉原といった外国人に人気のある観光地にいくと日本語で話しかけられないこともありましたが、両親ともに日本人の100%生粋の日本人です。旧姓はTOKIOの人や「君ならできる!」の方と同じです。ロシア人疑惑は父方が秋田県出身だからか?本当に謎です。


産まれた時は3,000g以上ありとても大きい赤ちゃんだったそうです。そして母は私を産む時、身体が非常に弱く自信がなかったそうなのですが、勝田市(現・ひたちなか市)の病院の先生から背中を押され、大丈夫だからとエールをもらっていたと聞きました。この病院の先生、今はどうしていらっしゃるか不明ですが、「この先生がいなかったらこの世に私はいなかった」と両親にいわれたことがあります。


1985年?~ 2000年 茨城県日立市で育つ

郷土愛を語らせてください。日立市というか茨城県は野菜も果物も生産量が日本一な産物があるくらい、日本の台所を握っている場所です。それくらい資源に恵まれていて、海と山に囲まれた場所で暮らしました。今でも茨城県は住みやすくいい場所だと思っていますし、帰るときに見える田んぼの風景は本当に癒されます。日立市は海水浴場の近くに住んでいたこともあるので、海が大好きなのはそのためです。海沿いでラジオ体操していました。山沿いに引っ越してからも海が遠くに見えていて、夜空の星もきれいなのどかな場所で育ちました。


さて、私は幼い頃どういう子供だったのか。見た目大人しい性格?だったけれど、集中力があって結構いたずらすることが好き、そして頑固で負けず嫌いだったのではと思います。そのエピソードとして、幼稚園の頃じゃがいも掘りに行ったときに一つも取れずに悔し泣きをしていたこと、信号機の絵を描いた時に青信号の色が1人だけ緑色で、「見たままの色で描いたのにどうしてダメなの?青信号でも色は緑色です」と先生に主張していたこと、そして1人で紙芝居を絵からストーリーまで作って勝手に1人で披露していたこと(誰も見てないのに 笑)などなど、、、幼稚園からおそらく手を焼く子供だったことは一目瞭然ですね。


そして小学校は1度転校を経験。なかなか新しい環境になれなくてその時どうやって自分が新しい環境に順応していったか覚えていないですが、幼稚園の頃の性格のままだったのは間違いないと思います。結構人と違う事をすることが好きだったのは何となく覚えてます。


そして中学受験を経て、自宅から電車通学で通うことになりました。英語教育に力を入れている学校でしたが、実をいうと私は中学生になるまで一度も英語を勉強したことがなかったのです。そのためあまり英語の勉強にも興味がそこまでわかず、それよりは小学生からの趣味で天体観測が好きだったこともあり、将来は天文学者になりたいなんて思ってました。今でも星空を見るのはとても好きで、メキシコと日本の見える星座の違いは楽しいなと思ってます。ただ、ディズニーがすごく好きで、当時は物珍しかった洋書を手に取ってはちょっと勉強したりしていました。本当にその程度です。


1996年 オーストラリアに短期留学したら人生変わりました。それまでは外国に出るということがイメージつかなく、たまたま受けてみた留学試験に合格して、よくオーストラリアがわからないまま行ってしまいました。そこで、自分が勉強した英語が通じた時に喜びを感じ、将来は絶対外国に住む・働く を決意しました。そこからは国際的な勉強をしたいということで結構勉強しました。


その頃丁度流行っていたSpice Girls、(少し後だけれど)Backstreet Boys、Mejaなどの洋楽にハマり、あえて輸入盤CDを買って歌詞カードの意味を辞書で調べたり…。また洋画にも興味を持ち始めて、特にその頃「タイタニック」で世界的大スターとなったレオナルド・ディカプリオに心を奪われてました。「おとぎ話の王子様が存在するのね❤」と夢中でした。好きこそものの上手なれ ―まさにこれですね(笑)。


そのまま同じ学校法人の高校に進学し、英語を中心としたカリキュラムのコースを選びました。1999年の時に2度目の短期留学でアメリカ・テキサス州アビリンに行き、更に自分の興味は海外へ向いていました。またしても洋楽の話になってしまいますが、この頃Ricky MartinやChristina Aguilera、Jennifer Lopezといったラテン系の歌手がビルボードチャートを賑わせていた時期でした。ノリのいいスペイン語のラテンの音楽に魅了されたとともに、留学した場所もヒスパニックが多めな地域。ラテンアメリカという世界に触れたのはこの年だったと断言できます。それからもスペイン語の歌を、今でも好んで聞いてます。


そう、実は1998年から99年の高校生の時、お母さんが日本人でお父さんがメキシコ人の留学生がレオンから来ました。1年間同じクラスで勉強していて、まさかその18年後にレオンで再会するなんて、この時は思ってもいなかったです。一緒にだんご三兄弟歌って、フィフス・エレメントを踊ってたのは今やいい思い出です(笑)



2001年 大学で色々な経験をした

大学で専攻したのが外国語学部・ポルトガル語学科です。ポルトガル語学科を選んだのは、入りたいと思っていた大学が国際的な場所で、かつ英語以外の言語で、話している人が少な目な勉強したかった+上記のようにラテンアメリカ文化にもっと触れたかったからです。


ポルトガル語専攻なのに、スペイン語あまり上手じゃないと多くのツッコミがきそうですが、使ってないと言語は忘れる。しかし、最近特に今年に入ってからはスペイン語スキルが上昇したとともに、ポルトガル語も相乗効果で少し感覚が戻ってきました。ただちょっとあまり人とふれあっていないことで、スペイン語話すのが臆病にもなっているので、気を付けなければ💦 今の言語レベルは多分 ポルトガル語<<<北京語<<スペイン語<<<<英語<<<<日本語 な具合です。少し前まで北京語の方がスペイン語より慣れていたんですが、さすがにメキシコ長いと北京語忘れてきました。


大学ではポルトガル語だけでなく、文化祭実行委員会に入ったり、国際関係学を副専攻で勉強したり、インターンしたりと色々やっていました。もうちょっと遊んでもよかったかなw。ただ入学した大学は、周りが本当に優秀な子ばかり。英語のスキルその他諸々転載レベルばかりでした。そんな中、本当に自分はこの大学で合っていたのだろうかと自問自答したことも何回もありました(絵にかいたようなお嬢様も多く、それも一つの理由でした)。未だに自分と同じ出身大学の方にお会いすると、本当に皆さん優秀な方ばかりで、恐縮してしまいます。


そこで大学4年の春に、サンディエゴに短期留学。いくつか候補先があったのですが、とにかく寒いのが苦手なことと、ちょっとメキシコやラテン文化にも触れた場所がいいなと思い、サンディエゴにしました。これまたサンディエゴという場所にぞっこんになったきっかけでした。



その後帰国して、最初は大学院留学や進学を考えていましたが、学生部で紹介された求人に応募して、2005年4月から公益社団法人で研究アシスタント・事務職として卒業後働き始めました。


2005年4月~7月 新卒で働いていた私を待っていたものは・・・! 

今思うと2年半という短い期間でしたが、MEXITOWNでインタビューしたり記事を執筆しているのは、この時の経験なしでは語れないかもしれません。公益社団法人は新聞社のグループの一つの会社だったため、優秀な記者の方が出向で私の上司になっていました。そんな上司の方々の下で学んだことが


  • 記憶は新鮮なうちにまとめないと人間忘れるからすぐ書きなさい

  • 相手の下調べは必ずしておかないとダメだよ

  • この文章の内容、(旧姓)さんわかっていて書いた?自分の言葉で説明できる?


この2つがあるため、今でもインタビューしてからなるべく時間をおかないように心がけています。そして後で読み返して、誰が読んでもわかるようなレイアウトと文章になるようにしています。


ここでは色々なセミナーの段取り、司会、受付、お茶出し、編集長のアシスタント、経理、etc...もう本当こうしてみると色々やりましたね。その中で社会人としてのマナーも半泣きになりながらも上の方に教えていただいたことには感謝で一杯です。スケジュールの組み立て方、事務用品や資料の整理・整頓、職場の美化は何気にメキシコでメキシコ人と働いているときに役に立ちました。


記者として出向されている方の中には本当に優秀すぎる方が多く、海外留学の話や研究のお話も聞いているうちに、恐れ多くも「自分も海外で勉強したい、広大なアメリカで勉強してみたい」と思うようになり、2007年7月退職し、またサンディエゴへ・・・!


そしてそこで、運命的な出会いをして、またまた人生が大きく変わる出来事がありました。ということで続きは次回へ。

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送信ありがとうございました

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