MEXITOWNの中の人の人生その①



Hola!これまで色々な方にインタビューを実施してきて、本当に自分がためになることだらけで、いい企画をすることができたなと思っています。ご協力いただいた皆様にはこの場をお借りしまして、改めてお礼申し上げます。他の特集記事も気に入っていただいているとのお声を頂いており、とても感謝しております。皆さんの好きな情報が見つかる Find you Mexicoのコンセプトがぶれないよう、引き続きアップデートしていきますので、よろしくお願いします!


さて、MEXITOWNの管理人はどういった人なのか?このようなことをたまに聞かれます。そこで、まずは昨年、私がオンライン英会話をしているワールドトーク様よりインタビューを受けたことがあり、英語の学習方法と同時にちょこっとだけ自分の生い立ちに触れていますので、こちらをご覧ください https://www.worldtalk.jp/blog/interview_wen/


このインタビューで触れてなかったお話を、数回に分けて少ししたいと思います。


まず、年表的にはこうなってます


1983年 茨城県生まれ ←歳ばれてますね

よく、この顔立ちから「ハーフ?」「台湾人?」「ロシア人?」と言われることが多々あり、東京タワー・秋葉原といった外国人に人気のある観光地にいくと日本語で話しかけられないこともありましたが、両親ともに日本人の100%生粋の日本人です。旧姓はTOKIOの人や「君ならできる!」の方と同じです。ロシア人疑惑は父方が秋田県出身だからか?本当に謎です。


1985年?~ 2000年 茨城県日立市で育つ

郷土愛を語らせてください。日立市というか茨城県は野菜も果物も生産量が日本一な産物があるくらい、日本の台所を握っている場所です。それくらい資源に恵まれていて、海と山に囲まれた場所で暮らしました。今でも茨城県は住みやすくいい場所だと思っていますし、帰るときに見える田んぼの風景は本当に癒されます。日立市は海水浴場の近くに住んでいたこともあるので、海が大好きなのはそのためです。海沿いでラジオ体操していました。山沿いに引っ越してからも海が遠くに見えていて、夜空の星もきれいなのどかな場所で育ちました。


1996年 オーストラリアに短期留学したら人生変わりました。それまでは外国に出るということがイメージつかなく、たまたま受けてみた留学試験に合格して、よくオーストラリアがわからないまま行ってしまいました。そこで、自分が勉強した英語が通じた時に喜びを感じ、将来は絶対外国に住む・働く を決意しました。そこからは国際的な勉強をしたいということで結構勉強しました。


そう、実は1998年から99年の高校生の時、お母さんが日本人でお父さんがメキシコ人の留学生がレオンから来ました。1年間同じクラスで勉強していて、まさかその18年後にレオンで再会するなんて、この時は思ってもいなかったです。一緒にだんご三兄弟歌って、フィフス・エレメントを踊ってたのは今やいい思い出です(笑)



2001年 大学で色々な経験をした

大学で専攻したのが外国語学部・ポルトガル語学科です。ポルトガル語学科を選んだのは、入りたいと思っていた大学が国際的な場所で、かつ英語以外の言語で、話している人が少な目な勉強したかったからです。


ポルトガル語専攻なのに、スペイン語あまり上手じゃないと多くのツッコミがきそうですが、使ってないと言語は忘れる。しかし、最近特に今年に入ってからはスペイン語スキルが上昇したとともに、ポルトガル語も相乗効果で少し感覚が戻ってきました。ただちょっとあまり人とふれあっていないことで、スペイン語話すのが臆病にもなっているので、気を付けなければ💦 今の言語レベルは多分 ポルトガル語<<<北京語<<スペイン語<<<<英語<<<<日本語 な具合です。少し前まで北京語の方がスペイン語より慣れていたんですが、さすがにメキシコ長いと北京語忘れてきました。


大学ではポルトガル語だけでなく、文化祭実行委員会に入ったり、国際関係学を副専攻で勉強したり、インターンしたりと色々やっていました。もうちょっと遊んでもよかったかなw。そこで大学4年の春に、サンディエゴに短期留学。いくつか候補先があったのですが、とにかく寒いのが苦手なことと、ちょっとメキシコやラテン文化にも触れた場所がいいなと思い、サンディエゴにしました。これまたサンディエゴという場所にぞっこんになったきっかけでした。



その後帰国して、最初は大学院留学や進学を考えていましたが、学生部で紹介された求人に応募して、2005年4月から公益社団法人で研究アシスタント・事務職として卒業後働き始めました。


2005年4月~7月 新卒で働いていた私を待っていたものは・・・! 

今思うと2年半という短い期間でしたが、MEXITOWNでインタビューしたり記事を執筆しているのは、この時の経験なしでは語れないかもしれません。公益社団法人は新聞社のグループの一つの会社だったため、優秀な記者の方が出向で私の上司になっていました。そんな上司の方々の下で学んだことが


  • 記憶は新鮮なうちにまとめないと人間忘れるからすぐ書きなさい

  • 相手の下調べは必ずしておかないとダメだよ

  • この文章の内容、(旧姓)さんわかっていて書いた?自分の言葉で説明できる?


この2つがあるため、今でもインタビューしてからなるべく時間をおかないように心がけています。そして後で読み返して、誰が読んでもわかるようなレイアウトと文章になるようにしています。


ここでは色々なセミナーの段取り、司会、受付、お茶出し、編集長のアシスタント、経理、etc...もう本当こうしてみると色々やりましたね。その中で社会人としてのマナーも半泣きになりながらも上の方に教えていただいたことには感謝で一杯です。スケジュールの組み立て方、事務用品や資料の整理・整頓、職場の美化は何気にメキシコでメキシコ人と働いているときに役に立ちました。


記者として出向されている方の中には本当に優秀すぎる方が多く、海外留学の話や研究のお話も聞いているうちに、恐れ多くも「自分も海外で勉強したい、広大なアメリカで勉強してみたい」と思うようになり、2007年7月退職し、またサンディエゴへ・・・!


そしてそこで、運命的な出会いをして、またまた人生が大きく変わる出来事がありました。ということで続きは次回へ。

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