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「日本とメキシコ、両国を繋げる時に存在意義を感じる」グティエレス実氏インタビュー

  • 2022年12月2日
  • 読了時間: 9分


メキシコシティにあるメキシコオリンピック委員会の敷地内にそびえる大きな壁画。2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックを記念し、スポーツを通した友好関係だけではなく、平和への願いも込められた壮大な作品となっています。


この壁画のプロジェクトを発案・企画したグティエレス実氏。彼は何故通訳をしながら壁画プロジェクトを立ち上げることになったのか。また、彼は通訳という職業を通してどのようなことを想うのか。今回のインタビューでは知られざる彼の様々な想いについて語っていただきました。

<目次>

通訳のキャリアは小学生の頃からスタート!


ー通訳として多方面でご活躍されている実さんですが、通訳になるまでのいきさつをお話しください。


グティエレス実さん:私はハリスコ州・グアダラハラで3人兄弟の末っ子として生まれました。父がメキシコ人、母が日本人です。私の父が大学院生として日本に留学した時、父が滞在していた学生寮で栄養士で働いていた母と恋に落ち、やがて結婚しメキシコにやってきました。家庭では、私の親はお互い自分の言語で話していました。私の通訳のきっかけは両親の話の食い違いの通訳から始まったと、よくネタにしていますね。


そんな両親のもと、朝はメキシコの現地校に通い、午後はグアダラハラ補習校で日本語と日本の義務教育の内容を中学まで受けました。当時のグアダラハラ補習校はほとんど毎日授業があり、月曜日から土曜日まで国語・数学・社会・公民・理科、全てを学ぶことが出来たのは貴重な経験でした。


つい最近日本に帰国したとき、その当時補習校でお世話になった先生に日本で再会しました。その先生曰く、私は生徒会長で、校長先生の傍にいて同時通訳をしていたようです。私はその記憶が殆どなかったのですが、その頃からすでに通訳をしていたようです(笑)。補習校の生徒の方は、日系企業のご子息が多く、小さなコミュニティでお互いをよく知っていました。全員が日本語を話せるわけではなかったので、私が通訳として手助けをする格好になりました。


中学を卒業後、もともと音楽家になりたいという夢があったので、グアダラハラの美術系の高校に進学しました。1年目では演劇、コンテンポラリーやバレーのダンス、音楽、美術を一通り学び、2年目から美術を専攻しました。高校に通いながら15歳から日系企業の通訳のアルバイトとして働いていました。アルバイトですので、1時間単位だったり、1日もしくは1週間と単発ですることが多かったです。大学も芸術系の大学に進学し、版画を専攻しました。大学時代も大学に通いながら通訳をして生計を立てていました。通訳だけではなく、25歳頃までは日本語の先生もしていました。通訳は主に自動車関係の企業や、京都市・グアダラハラが姉妹都市関係など、様々でした。

 

子どもの頃から自分は「メキシコ人の父親と日本人の母親の子ども」ということで、日本とメキシコ・両国の間に立つことに私は存在意義を感じていました。通訳をしている自分が一番生き生きしていると認識していました。


マツダメキシコでの経験から、広島に恩返しをしたいという気持ちに


ーそして19歳の時、実さんの人生を大きく変える出来事がありました。

グティエレス実さん:大学を休学し、ピースボードに挑戦しました。ピースボードはNGO団体で、世界の平和構築を目指している団体です。広島や長崎の被爆者を載せたりしています。3か月かけて世界を一周し、20か国を訪問します。ラテンアメリカでは、クーデターや内戦の証人の話を聞くことが出来ます。これまで私は14回乗船し、これまでに約50か国訪問しました。ピースボードに乗船し、被爆者などと知り合い、より世界のために役に立ちたいと思ったことで、人生が変わってきました


その後、グアナファト州・サラマンカでマツダメキシコの工場を立ち上げるというお話しがあり、通訳の声がかかりました。工場のグランド・オープニングで通訳を1日だけやりましたが、その後続けてマツダメキシコで6年間社長の通訳をしていました。その関係で、行政や幹部の方と多く接する機会が出来、政府関係者・グアナファト州とも良好な関係を築きました。その後もメキシコでの映画祭、大学間の友好提携、セルバンティーノ国際芸術祭、女優の桃井かおりさんなどがメキシコにいらした際のアテンドをしました。


ーそして、東京オリンピックが近付き、壁画プロジェクトに関わることとなります。


グティエレス実さん:東京オリンピック・パラリンピックがあり、広島県が事前合宿地となり、多くのメキシコ人の選手が広島県に滞在することを知り、マツダメキシコを退職して2018年から2021年まで広島県でメキシコ人選手のアテンドしていました。

その際、東京オリンピック・パラリンピックが開催されるにも拘わらず、何か両国に記念として残るような記念碑がないことに気付きました。そこで、何か記念になるものを残したいという私の強い想いから、メキシコシティにあるオリンピック委員会の壁に壁画を描くというプロジェクトを立ち上げ、広島県など関係者にプレゼンテーションを行い、クラウドファンディングで資金を集めました。壁画を描いたアーティストは私の高校の時からの友人のアドリ・デリ・ロシオとカルロス・アルベルト・ガルシアです。本当は日本でも残したかったのですが、いつか実現させたいですね。



東京オリンピック・パラリンピックという歴史的イベントを、壁画で伝承したい

―壁画を実際に見に行きましたが、実さん始め関わった方の想いが詰まった大作ですね。


グティエレス実さん:スポーツで友好関係を深めることも重要ですが、平和のメッセージも含めたいという想いで、原爆ドームや折り鶴を壁画に取り入れました。広島県民の方からの感謝が大きく、私の広島県への恩返しになれたら嬉しいと思いました。 マツダメキシコで広島の方には非常にお世話になっており、私自身広島が日本の実家のようになっています

―壁画として残したかったのは、実さんのこだわりがあったのですか。


グティエレス実さん:今から100年ほど前、メキシコ革命が終わった後のメキシコの非識字率は90%超えていました。その当時の文部大臣は私が好きな歴史上の人物の一人で、「絵で歴史を伝える壁画運動」を推進していました。その結果、メキシコ国内には2000点以上の壁画があり、いくつかは世界遺産にも選ばれています。またフレスコと呼ばれる手法で、壁を作る時に絵を描くことによって、壁に絵が吸収されて永久的に残すこともできます。今回の東京オリンピック・パラリンピックは歴史的な一大イベントであり、言語で伝承するのではなく誰もが見てわかるもの、ということで壁画を思いつきました。 


 

―実際の通訳現場で、大変だと感じたことは何でしょうか。


グティエレス実さん:精神的に大変だったのは、私が通訳し始めた20年前の頃の出来事です。日系企業の工場長クラスの方々がメキシコ人に対して威張っており、失礼な言葉を発していた時は、通訳という業務が大変というよりも精神が痛む時でした。今ではそうした現場が大分少なくなりましたが、日本人がメキシコ人に対してバカにしていたことは、今でも許せないです。 


―様々な分野の通訳現場をこなしていますが、どのようにして事前準備をされていますか。


グティエレス実さん:私は日本に一度も住んだことがないので、語彙が少ないと自覚していました。以前は辞書で調べながら語彙を増やしていきましたが、今では通訳をしながら語彙を増やしています。また、日本のお笑いがとても好きで良く見ています。


大変だったのはピースボードの現場で日本国憲法の9条関連の通訳でした。法律関係の言葉が分スペイン語でも日本語でも分からないため、理解するのが難しかったです。法律もですが、医療もそういった意味では大変で事前の勉強が必要となります。そうした場合は、その場で「これがこのワードなんだ」とメモをしていくようにします。通訳をいかに上手にできるかは、いかにその場をきれいにまとめるか・いかに話したいポイントを把握できるかに尽きるのではないかと考えています。


メキシコに興味を持つアーティストと、メキシコ文化を繋げる



―今後、何か新しいプロジェクトを行いたいという想いはございますか。

グティエレス実さん:実はすでに新しいプロジェクト「Latijapo(ラティジャポ)」を立ち上げています。以前、映画「この世界の片隅に」 の監督がメキシコで映画のプレミアがあり監督、プロデューサーや主演女優ののんさん、スタイリストの飯島久美子さん方々の通訳をすることになりました。数日間彼らと過ごす中で、飯島さんと意気投合し、プロジェクトを組もうという話になりました。それがLatijapo(ラティジャポ)です。

Latijapoは、日本とメキシコ(ラテンアメリカ)の文化とアートを繋げる中間となる存在です。昨年は渋谷でオアハカの先住民の服と着物をリンクした展示会を行いました。今年10月末には日本人がメキシコにいらして、死者の日のイベントにいく予定です。


また、ユカタン半島にエコビレッジを作ろうとしています。地元のマヤ人と一緒に、日本文化とマヤ文化をMixしたマヤビレッジの創設にも力を入れています。 


メキシコ人の持つ幸せの秘密に触れてください!

―最後に、読者の皆様にメッセージを一言お願いします。


グティエレス実さん:メキシコというものは、非常に奥が深いです。おそらくメキシコ人は無意識に色々な秘密を知っています。その秘密とは時間の過ごし方や人間関係、物がないという環境の中でも幸せに過ごしていくことの意味です。そうした彼らの秘密を知ると日本人はたまらなくハマる国だと思っていますので、是非一人でも多くの日本人に見ていただきたいです。 メキシコに住むと「あれがない」「これがない」「メキシコって不便だな」と感じる方々が多い印象がありますが、そういう人には特に気付いてほしいですね。


メキシコ人の持つ幸せの秘密、是非読者の皆様にも知って頂きたいです!

編集後記


グティエレス実さんを構成するもの。それは、メキシコ人×日本人×芸術×通訳。そしてその答えがグティエレス実さんだなとインタビューを通して実感しました。東京オリンピックパラリンピックの記念として何故壁画を残したかったのか、彼が芸術専攻だったからということを聞きますます納得しました。

そして最も印象に残ったのは、ご自身が日本人とメキシコ人の両親を持ち、日本とメキシコ・両国の間に立つことに存在意義を感じていたという言葉です。ご自身の強みを認識し、自分が一番居心地の良い場所・事は、両国の間に立つ現場だという自信の表れを感じました。そしてネットワークを活かして通訳の先に見える新しいことへの挑戦を常に考える姿に、周りの方々は応援していこうという気持ちにさせる、そんな魅力が実さんにはあるのだと思います。

執筆者紹介:




温 祥子(Shoko Wen)

MEXITOWN編集長兼CEO。メキシコ在住5年半。MEXITOWN立ち上げて今年で3年目に突入。これからも様々なジャンルの方をインタビューしご紹介していきます!趣味は日本食をいかにメキシコで揃えられる食材で作ることができるか考えること。日本人の方が好きそうな場所を探し回ること。



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