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「メキシコ人の父と日本人の母の間に生まれ、両国の絆を深め続ける充実した道のり」ロドルフォ・ゴンザレス・オノインタビュー

今回はグローバル・パシフィコ・コンサルタンツのロドルフォ・ゴンザレス・オノさんにお話を伺いました。


ゴンザレスさんは、メキシコ文化庁で文化芸術審議会長官アドバイザーを務めた後、メキシコ外務省に奉職。文化担当参事官として在日メキシコ大使館で両国の親善促進に長年従事してきました。グローバル・パシフィコ・コンサルタンツを立ち上げてからもますます精力的にメキシコと日本の経済・文化交流に尽力されています。


その背景には、お父様がメキシコ人、お母様が日本人であり、幼い頃から両国で教育を受けてきたこともあるようです。これまでの多彩な経験や、両国に対する深い思いなどを幅広く語っていただきました。

 

<目次>

 

日本に愛され、「メキシコとの橋になりたい」と思い始めた幼少期


――ゴンザレスさんの生い立ちをお話しください。


ゴンザレスさん:私は父がメキシコ人、母が日本人です。母は岡山県出身で、家族や親族は茶道と生け花に代々親しんでいました。日本の伝統的な文化に造詣の深い一族だといえます。


父はグアナファト市で育ち、祖父は彫刻家として知られていました。市役所に建つBenito Juarez像など、グアナファト市内のさまざまな要所に大きなブロンズ彫刻を残しています。

そんな祖父の下で育った父も芸術を志し、1960年代に焼き物の勉強のために日本の岡山に渡ったのです。師事したのは備前焼の陶芸家で人間国宝として有名な藤原啓先生でした。その窯元で勉強中、藤原先生から「自分の作品が実際にどう使われているかを学ぶために、お茶会に行きなさい」と言われ、先生のアシスタントとしてお茶会に参加していた母と出会いました。やがて2人は岡山で結婚し、1967年からグアナファトに住み始めたのです。母はグアナファトに住む初めての日本人でした。そして私が生まれたのです。


幼い頃の私は、父の仕事の関係で、メキシコの多くの文化人たちに囲まれていました。さまざまな国の外交官や大使にもお会いしましたし、当時のアメリカ大統領ジョンソン氏のご夫人とお目にかかった記憶もあります。そのように国際的な環境の中で、文化と芸術に触れながら育ったことが、今の私の土台になりました。本当にありがたいことだと思っています。


父は1970年の大阪万博のメキシコ・パビリオンを担当したのですが、その時、家族全員で日本に住み、私は半年間、岡山の幼稚園に通いました。母はまだスペイン語を話せませんでしたし、いわば私は日本語で育てられたのです。本格的にスペイン語を覚えたのは、4歳の頃、グアナファトに戻って近所の幼稚園に通い始めてからです。


その後も日本との絆は深まり続けます。小学生時代には、日本語の勉強をするために再び岡山に行って祖父母の家に住み、日本の小学校に1年間通いました。その頃、祖父母や親戚は、周囲の方々にとても愛されたことは素晴らしい思い出です。特に、茶道家だった祖母は品があって、私をいつくしんでくれました。メキシコ人の孫に日本の心を一生懸命伝えようとする気持ちを毎日感じていました。また、小学校時代の担任の先生とは、もう91歳になる今でも連絡を取り合っています。日本の小学校で過ごした1年間は、私の人生に大きなインパクトを与えました。


ゴンザレス氏と岡山市立深柢小学校の教諭だった三戸信子先生。


このような経験から、将来は日本とメキシコをつなぐ仕事をしたいという強い気持ちが芽生えました。コレヒオ・デ・メヒコ(メキシコ大学院大学)で国際政治学を専攻したのも、そのためです。この時に学士号を得た論文「日本における国家の安全と産業発展:三菱と海運業」が高く評価され、Julio Serrano Piedecasas財団から表彰されたのは、私のちょっとした自慢です。


メキシコ国立自治大学のCentro de Relaciones Internacionales (国際関係センター) の研究生として上智大学外国語学部の国際関係学専攻に留学したのも、同じ動機でした。日本の首都東京に住み、多種多様な同級生と一緒に過ごした2年間は実に素晴らしかったです。


欧米からではなく、日本から見る世界を知りたい


ゴンザレス氏と上智大学外国学部・今井圭子教授


――それにしても、留学先に欧米ではなく日本を選んだのはなぜですか。


ゴンザレスさん:欧米の有名大学から日本を見るのではなく、日本にいてこそ学べることがたくさんあります。それを身につけたかったのが、大きな目的です。日本から感じる世界を知り、日本から見る世界を知りたかったからとも言えるでしょう。


子供は「将来、何になりたい?」と聞かれると「パイロット」「サッカー選手」とか、最近では「YouTuber」「パテシエ」とか答えることが多いものです。でも、私は小学生時代から一貫して「外交官になりたい」と言っていました。いずれ在日メキシコ大使館で仕事をしたいという夢があったのです。


その結果、メキシコ文化庁→メキシコ外務省→在日メキシコ大使館参事官として1998年に来日というキャリアを歩んできました。メキシコと日本に生涯関わるというビジョンが実現したのです。中でも在日メキシコ大使館での3年間は、非常に充実していました。そこで築かれた人間関係と体験は、今後も私の仕事、幸福感、方向性を決定し続けると思っています。


――その後、日本でメキシコ農業省のオフィス立ち上げにも関わっていらっしゃいました。


ゴンザレスさん:はい。メキシコの農業大臣から連絡があったのです。日本との自由貿易協定(EPA)を締結するために、日本で農業省のオフィスを立ち上げてほしいという要請でした。交渉は2002年から行われ、2004年に調印、2005年にメキシコ・日本経済連携協定(EPA)が発効しました。


2004年に当時の小泉純一郎首相がメキシコで協定に調印した時の感動は忘れられません。大勢の方々の熱意と、長い交渉の成果でした。こうした歴史的な動きに、メンバーの一人としてかかわることができたことを名誉に思っています。


――FTAは一般的な自由貿易協定。EPAは、それに投資や人の移動などの要素を加えて、より幅広く経済関係を強化する協定ですよね。それがメキシコと日本の間で締結されたことは、その後の両国関係にさまざまな進展をもたらしましたね。


ゴンザレスさん:この貿易協定は、日本にとって大きなトピックだったと思います。なぜなら、初めて農業分野が含まれた協定だったからです。日本が最初にEPAを締結したのはシンガポール(2002年発効)ですが、そこには農業関係が含まれていませんでした。


農業は政治的にも敏感な分野です。それを初めて海外にオープンにさせた。これはとても意義のある前進だったと思います。


また、この貿易協定は、数多くの日系企業がメキシコに進出する土台ともなりました。特に自動車産業は、日本を代表するトヨタ、日産、マツダ、ホンダの4社がメキシコで完成車を生産するほどになっています。


実は、この時代は私の進路にも大きな変化がありました。メキシコの国家公務員を退職したのです。


「子供の頃から何度も日本に住み、大学でもアジアを専門的に勉強してきた。メキシコ文化庁のアドバイザーとして、メキシコ外務省の参事官として、計5年半、大使館で仕事をしてきた。そんな貴重な経験をした日本を離れるなんてもったいない」と思ったのです。

2006年にグローバル・パシフィコ・コンサルタンツを立ち上げて、日本に残ることにしました。


メキシコのアボガドが日本の「日常的な食材」になるまで


――コンサル会社を通じて、日本とメキシコをつなぐ大きな仕事をされてきました。それまでなかったし、今後もないような素晴らしい仕事だと思います。


ゴンザレスさん:メキシコ農業省が、ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、日本で同時に始めた「メキシコの食材は安全で美味しい」という国際的なプロモーションの日本担当になりました。メキシコのアボカド、マンゴー、ライム、豚肉などが日本に流通し始めてまだ間もない頃でしたし、6年間にわたって全国的なプロモーションを展開するという大きな仕事になりました。


日本の消費者レベルは高く、正しい情報を得たいという強い意欲を持っています。そういう消費者にメキシコの食材の安全性、美味しさ、信頼性を理解してもらうために、小さいパンフレットを作成してプロモーションを行うという手法をとりました。実際に食材を消費者の手に取ってもらうことが欠かせませんから、輸入業者や卸売業者、スーパーマーケット関係者にも粘り強く働きかけました。


日本でのプロモーション活動は、他国と比べてもうまくいったと思っています。メキシコの食材は国際基準にのっとって育てられたハイレベルなものだということが徐々に理解され、ついに無関税で食材をメキシコから輸出できるようになりました。


グローバル・パシフィコ・コンサルタンツは、その後、3年間かけてメキシカンビーフのブランドキャンペーンも行いました。キャンペーンを始めたのは、アメリカで狂牛病が発生した頃でした。日本がアメリカからの牛肉の輸入を止めた結果、メキシコに大きなビジネスチャンスが訪れたのです。メキシコ牛肉生産協会のメンバーが大挙して来日し、そこから大々的なキャンペーンを展開していきました。当時は日本の牛肉輸入国として3番目に位置するほどになりました。今では豪州、米国、カナダの順になってしまいましたが、大きなインパクトを持ったキャンペーンだったと思います。


――その中で日本人に最も受け入れられたものはなんでしたか。


ゴンザレスさん:アボカドです。プロモーション活動を始めた2000年代後半、日本のアボカド輸入量は3万トンを超えることはありませんでした。それが2010年代前半には2倍の6万トンに迫ったのです(2020年現在7万9560トン)。しかも、その85%以上がメキシコ産なのです。


今では、メキシコ産のアボカドはどのスーパーにも置かれ、家庭の食卓にも出されるようになっています。日本の食文化に楽しい変化をもたらしたのではないでしょうか


豚肉も同様です。国際的な基準にのっとって生産された安全性と、リーズナブルな価格によって、日本で広く認められるようになりました。


意外なところではカボチャがあります。日本に輸出するために栽培されているものもあり、品質が非常に高いのです。メキシコ産を好んで探してくれる消費者が結構いるんですよ。


食材は、生産国の食文化、ひいてはその国の文化全体と強く結びついています。メキシコのように歴史が長く、文化が奥深い国では特にそうです。


私は食材のプロモーションを通じて、背景にあるメキシコ文化をアピールしてきたと自負しています。そして、それは日本の方々に十分に受け入れていただいたと思っています。


なぜ日本はグアナファトでこれほど歓迎されるのか



――ゴンザレスさんは広島県とグアナファト州の友好関係にも貢献されました。


ゴンザレスさん:2013年に当時のグアナファト州知事Miguel Marquez氏が来日したのが大きなきっかけでした。マツダ、ホンダ、トヨタのメキシコ進出に関しての交渉や話し合いが進んだのです。


グアナファト州にはマツダを初め、日本企業が多数進出し、マツダが本社を置く広島県と素晴らしい交流関係が始まりました。そこでミゲル・マルケス元知事と広島県の湯崎知事が友好提携関係を提案し、来日から1年もたたない2014年に締結に至ったのです。


広島県とグワナファト州との間では、今日に至るまで、経済、教育、観光、文化、スポーツの5つの分野の交流が続いています。



2022年には、広島フードフェスティバルが3年ぶりに開催されました。もともとグアナファト州では国際的な料理のお祭りがあり、そこに日本もご招待しよう、そしてグアナファト州にある日本レストランのレベルを上げよう、という楽しい話から始まったフェスティバルです。


その後、私は6年間にわたって、グアナファト州政府の日本オフィスを代表していました。メキシコの州の中で唯一、日本でオフィスを設けていたのがグアナファト州だったのです。


私は、グアナファト州ほど外国の人や文化、企業を温かく受け入れる州はなかったと考えています。この9年間でグアナファト州には約200の日本企業が進出し、日本人が多く住むバヒオ地区には、約5000人もの在留邦人がいます。その結果、2016年にはレオン市で日本総領事館が開かれました。そうして、2019年にはグアナファト日本人学校も開設されました。


「日本の人たちが来る」「日本の工場が建つ」「わが子が通う学校に日本の子供が入学する」といったイベントのたびに私たちは心から喜び、興味を持ち、力を合わせたいと願っています。グアナファトという海外で、日本人はそれほど歓迎されているということを知っていただきたいと思います。


日本とメキシコの交流は、400年前の江戸初期にメキシコの船が日本に漂着してからだと言われます。それ以来、明治期には初の平等条約を結ぶなど友好関係を保ってきました。

両国の友好関係は、この10年足らずの間に、400年の歴史を上回るほどのスピードで進むようになりました。広島県とグワナファト州の友好提携関係は、そういう画期的な交流の始まりになったと考えています。


水をたたえた池に小さな石を投げ入れると水の輪ができ、輪は池全体に広がっていきます。そのようにグアナファト州と日本がふれあい、理解し合えたらいいですね。



――ゴンザレスさんの好きな日本語「ご縁」ですね。今後もさまざまなご縁を大切にしていきたいですね。


ゴンザレスさん:はい。ご縁を活かして、グアナファトと日本の友好関係をもっと進めていければと願っています。


日本との友好関係の中で、メキシコ人も多くのことを学びました。たとえば、長いビジョンで計画することの重要性とそのノウハウです。昨年からグアナファト州では「時間通りの行動を心がけよう(Yo soy puntual)」という運動を進めていますが、それも日本からの学びの1つですね。


メキシコは日本の大切な「味方」であることをもっと意識してください



――そんなゴンザレスさんから、最後に一言お願いします。


ゴンザレスさん:世界では政治、経済、軍事などの問題が次々と起きています。そのため、ついつい中国やロシア、北朝鮮といった国に目が行ってしまいがちです。それも大切ですが、もっと重要なのは、よきパートナーである友好国に対する知識を深め、関係を進めていくことだと思います。


メキシコは、アメリカやヨーロッパに比べると注目度は高くありません。しかし、歴史や文化、経済関係をよく見れば、メキシコが日本にとって本当に大切な味方であり、重要なパートナーであることがわかるでしょう。日本人に、もう少しメキシコのことを知ってほしいというのが私の昔から変わらない願いです。


今、さまざまな国がメキシコに歴史上最大級の投資を行っています。日系企業にも、もっとチャレンジしてほしいですね。


企業の後ろには人間がいます。国の後ろには人間がいます。人間同士のふれあいと相互理解によって物事は進み、友好関係と歴史が築かれていきます。


日本とメキシコの絆を深めるお手伝いを続けてきたことを、日本人の母親とメキシコ人の父親を持ったメキシコ人として誇らしく思ってます。


経歴:

Rodolfo Gonzalez Ono  ロドルフォ・ゴンザレス・オノ


メキシコ・グアナファト市にて、メキシコ人の父と日本人の母の間に生まれる。 日本語、英語、スペイン語の3ヶ国語を流暢に話す。

メキシコシティのエル・コレヒオ・デ・メヒコ(メキシコ大学院大学)にて、国際関係学の学士号を取得する。

(卒業論文: 「日本における国家の安全と産業発展:三菱と海運業(1853年- 1884年)」。

*この卒業論文は、国際関係論について書かれた国内の卒業論文のなかでも大変評価され、Julio Serrano Piedecasas財団より、第二位を表彰された。)


1993年-1994年:上智大学外国語学部にて、国際関係副専攻研究生として、「日本の国家産業政策と国家安全保障との関係性」を研究した。 1996年~1998年:メキシコ文化庁において、文化芸術審議会長官のアドバイザーを務めた。 1998年~2003年:駐日メキシコ大使館文化担当参事官としてメキシコ外務省に奉職。日本におけるメキシコの文化政策の実施ならびに、文化を通じた両国間の親善促進に従事。


2003年~2005年:メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)の大臣より、在日コミッショナーとしての任命を受ける。日墨経済連携協定の交渉の際、メキシコ代表団へのアドバイザリーとしてサポートを担当。メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)駐日事務所の設立および運営の礎を築く業務に従事。


2006年:コンサルティング会社、Global Pacífico Consultants を創立。日本初の対メキシコを中心とした国際的なサービスを開始し、現在に至る。


参照URL:https://www.globalpacifico.co.jp

 

編集後記


非常に流ちょうな日本語でインタビューに答えていただいたゴンザレスさん。メキシコ人と日本人のご両親を持ち、幼い頃から国際的な環境で育ってきたからこそ、今のゴンザレスさんがあるということが強く伝わってきました。外交官としてメキシコと日本の両国のために真剣に考えていたこと、そして今も日本に残りメキシコと日本のために尽力されている姿にきっと周りの方は一緒に仕事をしていきたいという思いにさせられるのだと思いました。


これまでの他の方々のインタビューからも何度も感じてきましたが、メキシコ人の方がいかに日本に対して親日的であることを改めて実感し、ゴンザレスさんのおっしゃる通り日本は外交上のパートナーとしてメキシコを決して忘れてはいけない ーこの一言に尽きるのだと思います。

 

お問い合わせ先


Global Pacífico Consultants

グローバル・パシフィコ・コンサルタンツ

所在地  : 〒145-0063 東京都大田区南千束1-21-18 ​クレスト千束303

電話番号 : 03-3728-8807

ホームページ: https://www.globalpacifico.co.jp/

 

執筆者紹介:




温 祥子(Shoko Wen)

MEXITOWN編集長兼CEO。メキシコ在住5年半。MEXITOWN立ち上げて今年で3年目に突入。これからも様々なジャンルの方をインタビューしご紹介していきます!趣味は日本食をいかにメキシコで揃えられる食材で作ることができるか考えること。日本人の方が好きそうな場所を探し回ること。



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