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「日系移民が残した功績があるから、日本人がメキシコで尊敬される」平井伸治先生インタビュー

日本からメキシコに渡った移民。これまであまり語れることが決して多くはなかった日系移民の歴史をモンテレイで研究し、ルーツ探しのサポートをしている日本人がいます。


今回は移民研究が専門のメキシコ社会人類学高等研究所教授・平井伸治先生にお話を伺いました。先生が移民研究をすることになったのは何がきっかけだったのか、そしてメキシコにおける日系移民がブラジルやペルーと比べて何故あまり語られてこなかったなどの理由をお聞きしました。

 

<目次>

 

過去の文化より、現在の文化の違いを研究したい


ー平井先生が、メキシコの日本人移民をとりあげることになったきっかけは何だったのでしょうか。先生のこれまでの経歴もお話しください。


平井先生:私は鳥取県米子市で生まれた後、長野県松本市に引っ越し、予備校生の時まで長野県にいました。その後東京に出て、慶応義塾大学・文学部に進学しました。もともと海外旅行に小学校高学年の頃から興味があり、海外で活動するにはどういう職業があるのを考えながら、子供の頃から海外旅行番組を毎週見ていました。そうしているうちに考古学に興味を持つようになりました。異文化を知ることが出来る分野で、かつ考古学が学べる大学と考えたときに、慶応義塾大学が浮かびましたので、受験しました。


大学では考古学と文化人類学を研究する専攻分野を2年生から学ぶことができました。大学に入学して最初の夏休みにメキシコに行き、ピラミッドを10か所以上訪問しましたが、「どうも自分の肌にあわないかもしれない!?過去の人間の文化よりも、現在の文化の違いを見る方が面白いかもしれない」と直感したのが、最初の海外旅行でした。そんな話を同じ専攻分野の友人にしたところ、文化人類学の方が合うんじゃないかといわれ、文化人類学を専攻しました。


その後ラテンアメリカ諸国のどこかでフィールドワークをして、卒業論文を書きたいと考え、長期休暇を利用して旅行しました。コスタリカやメキシコ、グアテマラでの旅行でスペイン語も学び、メキシコ旅行の後アメリカのロサンゼルスに2泊しました。そのころには身に着けたスペイン語を使って、アメリカに移民したメキシコ人と会話ができるようになっていました。そのスペイン語を活かして、アメリカに来た理由をメキシコ人移民に聞く機会があり、アメリカにはメキシコ人の文化が移民を通して構築された地域があるということを肌で感じました。メキシコからアメリカへの移民は、文化人類学ではあまり研究されてない分野だったため、真新しい研究ができると思い、卒業論文のテーマとしました。


その後、1998年にメキシコに留学し、メキシコシティのメトロポリタン自治大学(UAM)で博士号まで取得しました。アメリカに住んでいるメキシコ人移民をテーマとし、異国の地で移民たちが集団でネットワークを築きながら、メキシコ人向けのスーパーを経営したり、村祭りなどを行ったり、家族連れで里帰りする現象はなぜ起こるかを研究の切り口とし、メキシコ人が抱くノスタルジーを研究しました。そうした意味で、当初は、日本人移民とは関係のない研究をしていました。


その後、2009年2月頃にメキシコ社会人類学高等研究所での求人の公募があり、応募したら採用されたので、ヌエボ・レオン州・モンテレイに移りました。モンテレイでは文化人類学の研究はあまり活発ではなく注目されていませんでした。モンテレイには日系企業も多数進出しており、日本人の駐在員がメキシコ社会にどのように適応しいくのかを研究するには、日本人であって日本語が話せる私が適しているのではと思ったのが、メキシコに暮らす日本人を研究する始まりです。


日系移民が残した功績は、メキシコ人からも尊敬されている


ーこうしてメキシコの日系移民の研究をスタートされた平井先生ですが、モンテレイにも日系移民が多く住んでいて、ルーツを知りたいという方にルーツ探しのお手伝いをはじめました。


平井先生:モンテレイで東北部日墨協会の会長も務めていますが、こちらの日系社会では、日系2世や3世でも日系1世の父や祖父のことをあまりよく知らない、日本語を話す先祖のことがずっと謎だったという意見が多いのです。また、日系2世・3世はメキシコ人の同世代と比べてかなり高学歴で規律正しく・よく働き・嘘をつかない、職業も公認会計士や医師など優秀な方で、信頼できる日系人として各地で高く評価されている印象があります。


また、メキシコ北部には太平洋戦争前まではたくさんの日本人が移住した地域があり、例えば、ヌエボ・レオン州、コアウイラ州やタマウリパス州では、かき氷のことを”YUKI"と呼んでいて、モンテレイ市内でも日本人がかき氷を売ってた時期があります。どうやら日本でも戦前、かき氷に砂糖をかけたものをYUKIと呼んでいた地域があり、そこから来ているのではないかと観られています。メキシコ国内には、メキシコ人に親近感を持ってもらえるような日本人移民が残した多くの功績があり、メキシコ社会において日系移民はマイノリティだけれど、メキシコ社会に貢献されてきたので、日系人はメキシコ人から高貴の一面も持たれています。


写真左:1934年モンテレイ天皇誕生日式典 写真右:1930年代モンテレイ結婚式


日本のアニメ・マンガ・ゲームなどのサブカルチェアーはご存じの通りメキシコで大変評価されていますが、「自分のルーツは日本にあることをもっと知りたい」という日系人の方が多くいることに気付きました。私自身だけが研究するのではなく、ルーツ探しに役立つ調査方法などを日系人に伝授して、ルーツ探しを共同で行うことを2015年に開始しました。その後東北部日墨協会にも協力いただき、コミュニティ参加型のプロジェクトとして活動しています。


例えば、日系5世の方で、1世が沖縄出身の若者の話です。大学で教育学を専攻をしており、卒業論文のテーマを「日系人がいかにメキシコ社会に統合されたのか」として、教育の観点から調べてました。この若者は、2019年に沖縄でフィールドワークを行った際に、日本の親戚と面会することができました。また、「日本に旅行に行きたい、ただ旅行するだけではなく、1世の生まれた場所を訪れてみたい行って」という日系3世と4世の親子の要望があった際は、現地での活動を遠隔でコーディネートし、1世の戸籍謄本のコピーを入手したこともありました。


日系5世の方が、沖縄まで行き、ご自身の先祖のお墓参りをされました。


自分のアイデンティティの形成にも影響を与えるルーツ探し


ールーツ探しはただ資料を集めて終わりではないと思います。どのようにルーツ探しをするようにアドバイスされていますか。


平井先生:まず、日本人移民史の概要について講座を開き、参加した人が課題をやりながら本格的な調査の準備をします。第2段階では、自分のできる範囲で調査を進めます。また、研修活動の際に家族史を作成することを指導しています。1世のライフヒストリーを分かり易くするためにタイムラインを作成することにより、1世についてこれまで聞いてきた情報を整理することができます。そうすると、例えば祖父の1907年から1917年まで情報がない、といったことなどが分かったりするので、分かっていることと、分かっていないことも整理でき、分からないことを見つけるにはどういう資料があるのか調べていきます。家族史は調査をする上での不明点を分かるようにするツールです。 


また、オーラルヒストリー(口述歴史)を聞くだけでなく、各家庭で資料が眠っていたら、どのように保管するかなども指導しています。中には1世の日露戦争の軍の手帳といった貴重な資料まで出てきたことがあります。そうした貴重な資料は、原本は湿気のあるところに保管しない、写真はデジタル化して保存する、親戚同士でデジタル資料を共有化し、家族内でトラブルがあっても1世の情報は共有するべきだと指導しています。自分たちで抱えておくだけではなく、誰かに情報提供をするように助言したりもしています。


日系移民の中には、日本で戦争に参加した若者や、当初ベラクルス州のさとうきびプランテーションでの仕事でメキシコに来てたが、その後、病気で亡くなったり、職場から脱走する人も多くいました。無一文になってメキシコで放浪した後に、別の仕事に就き、結婚し家族を養えるようになったり、中にはソノラ州で氷・炭酸飲料製造会社の経営者になった人もいました。こうした1世のライフヒストリーの詳細な情報は、日系人のアイデンティティの構築に役立ち、特に日系4世・5世などの若い世代にとっては思春期におけるアイデンティティの形成のための貴重な情報と言えます。日本で1世の故郷を訪れることも、自分の先祖がとある地域から、これまでの足跡を追うことで、アイデンティティの構築の豊かにするものだと思っています。


こうしてルーツ探しもだいぶ進むとと、日本に行かないと目標が達成できないケースも増え、また当初モンテレイやメキシコ北部を中心に行ってきた活動を他の地域でも行いたいという声があり、トヨタ財団の研究助成金を申請しました。日本では社会科学・人文研究の助成プログラムでは取得が一番難しいものの一つと言われていましたが、2018年に無事審査が通ったことで一気に活動の幅が広がりました。


新型コロナウイルスのパンデミックの最中でもオンライン集中講座を開講し、2020年8月に開始した第一期目のオンライン講座には約120人が参加しました。北はバハ・カリフォルニア州、南はチアパス州、中にはメキシコ国外からの参加で、スペインやイギリス、アメリカに住んでいる日系人の方もいて、大好評でした。


トヨタ財団の助成が終了し、2022年3月までJICA(国際協力機構)の助成金を頂いて活動を続けました。日系移民ではないけれど、日本人移民史に関心のある研究者や大学生・大学院生にもオンライン講座を開放しました。この意図は日本人移民史に関する研究活動をフルタイムでしている方々を ルーツ探しをする日系人の協力者として講座を通じて育成するためでした。


今年の夏にモンテレイで行われた七夕まつりでは、グループ発表を行い、ルーツ探しをした日系人に自らの体験談を発表してもらいました。人の語りというものは、非常に強い力を持っていると思います。情報として面白いというだけでなく、話している本人の感情の起伏や個人の想いを聞いている人達が感じ取ってくれます。こうした語りは日系人でなくても共感を得てもらえると思います。


ルーツ探しのプロジェクトからの派生で作られた短編ドキュメンタリー映画


トヨタ財団の助成金をいただき、プロジェクトの大きな業績として、日系人同士のネットワークが強化されたことと、参加者の意識が変わったことを肌で感じました。コミュニティのために奉仕できる活動を運営していかなければならない、資金が低額でもできる活動を多くの人に共有してもらい、ルーツ探しを行いながら、日本とのつながりを日系人自身がが今出来る範囲で構築してほしいと引き続き思っています。


また、これからの課題として、日系人コミュニティのリーダーの育成が挙げられます。リーダーの育成という課題は各地域の日系人コミュニティからも声があがっており、こうしたルーツ探しを継続させること以外でも、例えば日本文化や日本との絆の継承という観点からも重要と言えます。


2019年在日本メキシコ大使館で研究成果を発表する日系2世

メキシコの日系移民の特殊性


ー日本で日系移民というとブラジルやペルーの日系人が取り上げられることが多く、メキシコの日系移民はどちらかというと平井先生の研究で広まった印象があります。移民した規模の違いもあるかと思いますが、何故メキシコの日系移民がそこまで注目されることがなかったのでしょうか。


平井先生:メキシコにおける日本人移民史の中でいくつかのターニングポイントとなった出来事に分けてお話しします。


移民事業として初の榎本殖民団の来墨

おっしゃる通り、ブラジルやペルーの日系人と比較すると数が圧倒的に違います。ただ、ラテンアメリカ諸国における移民事業としての日本人移民はメキシコが最初です。この1897年の榎本移民団の後、1899年からペルーの日本人移民が開始されます。その後、メキシコには1901年から1907年の間で1万人以上の日本人が契約移民として送り込まれました。その多くは日本でも農村の貧しい地域出身者で、和歌山県、富山県、広島県、福岡県、熊本県、沖縄県などの出身者が目立ちました。


その後、仮にペルーのように10年ほど移民会社を通じて多くの日本人が移住していたら、メキシコの移民は劇的に増えていたでしょう。しかし、何故それが起こらなかったのか。それを理解するにはアメリカ・日本・メキシコを含む地政学を考えなくてはなりません。


日米紳士協定の締結

1907年頃は日本が明治期に入り軍事力も経済力・産業も発展し、ある程度富国強兵という目標を実現できた時代です。日露戦争でロシアに勝利したことは、海外での日本人と日本に対するイメージを大きく変えました。1905年以降、アメリカで日本人の排斥運動が激化し、日本に対して警戒心が高まりました

メキシコに住んでいる日本人は移民労働者ではなく、夜間軍事訓練をしているという噂を在墨アメリカ大使館にアメリカ市民が通達したり、また20世紀初頭に当時のドイツのプロイセン王国では、日本とメキシコが同盟を結びアメリカに侵攻する可能性があると外交官が皇帝に報告するなど、政府レベルでもメキシコの日本人が警戒されました(もちろん、これらの噂は事実に基づくものではなく、空想の産物にすぎませんでしたが)。


1907年に日米紳士協定が締結し、アメリカに労働目的の日本人を送らない、労働目的でアメリカ・ハワイ・メキシコに行く日本人に対してパスポートを発行しない、アメリカは国内にいる日本人を排斥しないという合意が成立しました。この結果、日本からの移民会社を通じた大規模な契約移民という事業はメキシコでは終了し、その後1920年代から1940年代まで日系移民は、すでにメキシコに来ていた日本人が親戚・兄弟・妻をが呼び寄せる形で継続しました。 

第二次世界大戦ー日系移民の強制移住

その後太平洋戦争が開戦になり、アメリカ政府はメキシコ政府に対してブラックリストに載っている日本人の送還を求めましたが、日墨関係が歴史的に友好であったこと、また日系移民は各地で評判が良く、エリート階層とつながっていたこともあり、メキシコの主権を守る意味でも国内にいる日本人はメキシコに残してメキシコ政府が管理することになりました。その政策として、アメリカとの国境沿いに住んでいる日系移民をメキシコシティやハリスコ州などの内陸に移住させたり、日本人・イタリア人・ドイツ人に対する財産凍結、日本人同士の集会禁止、帰化申請の無効をなどの処置がとられました。マスメディアでも日本人に対する悪口も書かれ、それまで親日国であったメキシコで、一気に社会が反日になったことが、日系1世・2世が日本や日本文化のことを、戦後あまり語らなくなったことに繋がっていったと考えます。


戦後の日系社会:日本文化を語られずに1世が去る

地方に住んでいた日本人男性が戦時中メキシコシティやグアダラハラに強制移住させられ、残された家族は一家の大黒柱の男性を失い、各家庭が経済困難に直面しました。これが、メキシコ各地で形成された日本人コミュニティに大打撃を与えたと要因と言えるるでしょう。そして敗戦後、強制移住が解除されても元々の居住地に戻らない日本人が多くいたため、例えばバハ・カリフォルニア州のメヒカリなどでは日本人会などの活動も下火になりました。コミュニティのメンバーも高齢になり、子供や孫たちに自らの体験をあまり語らずに1世が亡くなっていったのが、メキシコの日系社会の特徴と言えます。


日系1世について、その次の世代が何も知らないことに、こうした特殊な歴史的背景があることを理解していただきたいです。また、母方がメキシコ人の場合は、家庭で父親ある日本人の文化が充分に引き継がれなかったという仮説を立てることもできます。しかし、「日本という国は日系1世にとって大切なものだったけれど、自分たちの世代で日本とのつながりは終わらせよう」という意図があったのではないかという解釈もあります。「子供たちや孫たちがより早くメキシコ社会に溶け込み、差別されないように」という1世の次の世代に対する愛情の反映だったのではないか、といった解釈も可能であり、ルーツ探しをする日系人には各家庭で戦時中・戦後の歴史解釈を個別にやってもらいたいと思っています。


2019年コアウイラ州ラス・エスペランサス村の日系人交流会


戦前に作られた日本人コミュニティの延長線上にいることを忘れずに日墨交流を行いたい


ーメキシコの日系移民がブラジルやペルーの日系移民とは大きく違うことが、今のお話しを通してよく理解できました。現代はメキシコも親日で、もっと日本と繋がりたいという動きが強いですね。


平井先生:メキシコは親日の国で、戦時中の日系1世ができなかったことを伸び伸びとできる世の中になりました。私自身東北部日墨協会という日系人団体の会長を現在務めさせていただいておりますが、戦前に作られた日本人コミュニティの延長線上にあるという意識を持って活動をするようにしています。戦時中や戦後も暫くできなかった日墨交流を今は伸び伸びと行い、日本とのつながりを修復しさらに強化していきたいです。


戦時中に日本人移民が経験されたことや先人の当時の気持ちを想像すると、同じ日本人として悔やまれます。私達以上に祖国や故郷に対する愛着が強く、故郷のお墓に葬ってもらいたいといった願いなどもあったと思います。でも現実を見るとメキシコでは子供たちは育ち、孫もいて、、、自分の祖国に対する気持ちとは別に、自分の子供たちや孫たちの安全・生活・将来のことを考えると、メキシコでの生活を優先しなくてはならなかった1世のジレンマを、是非日本人の読者の方には想像してもらいたいです。


メキシコがいまだに親日なのは、アニメ・ゲーム・漫画などのサブカルチャーや日系企業の世界的な進出という要因もありますが、メキシコに戦前に渡った日本人の貢献が非常に大きいことも忘れないでいただきたいです。各地域で誠実でよく働き、メキシコ人と鉱山で働いたり、生活面でもいろいろ協力していた日本人。メキシコ社会に多大な貢献をしてきた日本人が、戦時中いきなり日本と日本人のイメージが変わっても、戦後大変な苦労と努力をされてメキシコの各地で日墨友好の回復・再構築をしました。これまでの先人の努力を考えると、微力ながら自分も日本人のイメージをよくするために努力しなくてはならないと思っています。


メキシカン・ドリームの実現が出来た自分と先人を重ね、責任ある振る舞いを


ー今回はメキシコの日系移民について、非常に貴重なお話が聞くことが出来ました。最後に、読者の方へのメッセージをお願いします。


平井先生:私自身、メキシコに来る前は普通の学生だと思っていましたが、メキシコで鍛え上げられて、(とりあえず人類学者になりたいという20代の)自分の夢は達成できました。メキシコに渡りメキシカン・ドリームでメキシコに人生をかけてみた先人たちと自分自身が重なっていると実感しています。しかし、戦前に渡墨した日本人は、私が経験した以上に大きな文化の違いを経験され、より厳しい時代を生き抜かれ、感銘を受けます。日本の貧しい農家出身だった方々がが無一文になったときもあるけれど、結果として家庭も築き、いろんな分野で成功された方々もいました。日系人と共にルーツ探しをしながら、先人の生き様から今後もいろいろ学びたいと思っております。


読者の方で、駐在員の方へ。メキシコ人の上に立つ立場として、メキシコ人の生活やキャリアにも大きく左右し、影響力のある立場にいます。ここでないとできない仕事であるとポジティブに考え、今の環境・人間関係を大切にしてほしいです。


今、私達が差別されない理由には、戦前にメキシコに移住した1世やその子孫である日系人の方々が、戦後多大な努力をなされメキシコ社会で日本と日本人に対するイメージを修復し、信頼を回復してきた現実があります。そのため、125年前から続くメキシコにおける日本人移民の長い歴史の中では、最近渡墨した日本人の多くは、私も含め、メキシコ人と接する際に責任のある振る舞いをしなくてはいけないと常々思っております。


自分のせいでメキシコ人にとっての日本と日本人のイメージを悪くしないように、先人から学びながら、メキシコ人に敬意を表されるような振る舞いを心掛けていきたいです。日本とメキシコの関係は、草の根的なレベルで、いくらでも良くも悪くもできるのですから。

 

メキシコの日系移民について、もっと知りたい方に


RAICES EN JAPON-MEXICO


バーチャルミュージーアム


Youtubeチャンネル

 

経歴:

平井伸治 Shinji Hirai

1998年よりメキシコに在住する人類学者。2007年メトロポリタン自治大学(UAM)人類学部にて博士号取得。在米メキシコ人のノスタルジーに関する博士論文が、2010年にメキシコ科学アカデミーより社会科学部門最優秀博士論文として表彰される。2009年よりメキシコ国家科学技術審議会(CONACYT)所管の社会人類学高等研究所の東北キャンパス(モンテレイ市)に勤務。2015年から2019年まで同キャンパス所長を務める。専門は移民研究、感情人類学。


メキシコ人移民とノスタルジーに関する著書にEconomía política de la nostalgia. Un estudio sobre la transformación del paisaje urbano en la migración transnacional entre México y Estados Unidos (UAM-I/Juan Pablos Editor, 2009)、論文に"Les nostalgies dans la ville contemporaine: pistes de recherche" Cybergeo: European Journal of Geography, 904 (共著・2019)、"The Role of Mexican Immigrants in the United States on the Imagined and Invented Traditions in Mexico’s Regional Cities" Hispanic Journal of Behavioral Sciences, Vol. 41(2) (共著・2019) などがある


経歴出所元:

 

編集後記


インタビュー記事の中でも触れたとおり、多くの方が日系移民というと最初に浮かべるのがブラジルとペルーです。日本のメディアでもドラマや映画で取り上げられているからもありますが、それほどメキシコの日系移民については語られる機会が少ないテーマです。しかし、メキシコにも日本人の苗字を持つメキシコ人が多く、国際結婚された方も大勢いらっしゃいます。そんな方々を大切にしていかなくてはならないはずなのに、何故日系2世以降に日本文化が伝承されてこなかったのか。平井先生がわかりやすくお話しいただいたことで、その深い理由が理解出来ました。


第二次世界大戦中に反日になったメキシコが、現在他国と比べても親日国家になったのは平井先生のおっしゃるとおり、日系1世の方々の苦労・誠実さ・真面目さがメキシコ人に評価された背景があったからだと実感しました。そうした日本人としての大先輩の方々の苦労をしっかりと理解し、恥ずかしくない行動をとらなくてはいけないです。そしてそうした振る舞いを次世代に伝えていくことが、私達の使命でもあります。

 

執筆者紹介:




温 祥子(Shoko Wen)

MEXITOWN編集長兼CEO。メキシコ在住5年半。MEXITOWN立ち上げて今年で3年目に突入。これからも様々なジャンルの方をインタビューしご紹介していきます!趣味は日本食をいかにメキシコで揃えられる食材で作ることができるか考えること。日本人の方が好きそうな場所を探し回ること。



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