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"篠原誠二"の検索結果が見つかりました
- 新春特別企画「2023年、私の一言」②バヒオ地区編
(Mazda de Mexico Vehicle Operation)社長 岩下卓二氏 謹んで新春のお喜び申しあげます。 「二兎追うものは…」と言われますが、山善MXは、メキシコ人スタッフと日本人スタッフ、2人3脚で、メキシコのお客様の発展と山善MXの発展、二兎を追いかけます。
- 特別インタビュー「2022年はより多くの方と出会えた実りある1年でした」在レオン総領事館・板垣克巳総領事
このイベントを通じて、グアナファト州民の日本への関心の高さ、グアナファト州民と日本人コミュ二ティとの絆の深さ、そして未来に向けての協働が確認されたのではないかと思っています。
- 【メキシコ滞在の素敵な思い出になりました!】バヒオ地区で日本人サッカーチーム大会を開催!
第二回、三回と続いていくよう、ケレタロチームも貢献できればと思います。 アグアスカリエンテス 福林亮介キャプテンのコメント まずは、大会を取り纏め下さったイラプアトの皆様有難うございました。
- 「日系移民が残した功績があるから、日本人がメキシコで尊敬される」平井伸治先生インタビュー
第二次世界大戦ー日系移民の強制移住 その後太平洋戦争が開戦になり、アメリカ政府はメキシコ政府に対してブラックリストに載っている日本人の送還を求めましたが、日墨関係が歴史的に友好であったこと、また日系移民 第二次世界大戦中に反日になったメキシコが、現在他国と比べても親日国家になったのは平井先生のおっしゃるとおり、日系1世の方々の苦労・誠実さ・真面目さがメキシコ人に評価された背景があったからだと実感しました
- 「私の生い立ちとメキシコ」高山智博・上智大学名誉教授
そこは二階建ての大きな家で、二階では蚕を飼っていた。一階の囲炉裏のある部屋では伯父が上座、家族と私は下座に座った。食事の際、伯父の料理の数はいつも一品多かった。 二人の賑やかで楽しい舞台に圧倒されたからだろう。図画の宿題で描いたのが、この時の笠置シズ子とエノケンの似顔絵だ。 私は少年時代に、戦中・戦後という全く違う二つの日本を体験した。これが我が人生における最大の出来事だった。 経済復興 水泳の古橋広之進が、1949年の全米選手権で世界新記憶を樹立した。 二人は名も告げず、この橋で再会することを約束して別れるというもの。その舞台となった数寄屋橋にも写真を撮りに行った。その橋も、下を流れる川も、今はもうない。 その頃、課外活動の一つスペイン語文化研究会が発行した新聞に、「最近中南米では日本の若者、それも彼の地を第二の故郷と目し、建設の意欲に燃えた、そして教養のある青年を待っている」という記事が載った。
- 鴻巣勝明氏「シベリア鉄道でメキシコへ」
2006年から2019年まではメキシコと日本の二重生活を送るが、2019年からは完全に日本に本帰国。現在は地元横浜でゆっくりと過ごす。 編集後記 メキシコの観光業に長年携わっていた鴻巣氏。
- リセオ(日本メキシコ学院)「これからの世界で活躍する人材を育てることのできる学校、リセオ」石松学院長インタビュー
子供はメキシコで生まれた長男と日本で生まれた次男がいますが、二人とも2回目のメキシコ駐在時代にそれぞれリセオの中学部・小学部を卒業しています。
- 「グアナファトに新幹線を!」プエルト・インテリオール工業団地:Héctor López Santillana 氏インタビュー
私は幼い頃にグアナファトに来て、ここに住み、育ち、レオンで市長を二期務めたので、外部の人間にとてもオープンな州です。そして私たちは、日本との関係がオープンであると認識しています。
- 【無料】「藤原道山×SINSKE」来墨コンサートのご案内(Mas Japon en GTO)
同ユニットは、尺八の新たな魅力を拓く第一人者として幅広いジャンルで活躍中の藤原道山氏と、5オクターブのマリンバで唯一無二の世界観でメロディを奏でるSINSKE氏により構成。
- 田北坦 氏「メキシコ変則サラリーマン、色々ありました」インタビュー記事
それがのちに日系二世である妻と出会うきっかけとなりました。 奥様との出会いがきっかけで証券会社を退職後、メキシコへ 丁度その当時、慶応義塾大学には当時ラテンアメリカ研究会があり、来年メキシコ訪問する予定との話で後に妻となるメキシコ二世の女性をスペイン語の教師として 様々な役職を通して多くの日系企業の関係者と交流 その後、1989年12月末に、メキシコ三井物産の機械部長として二度目のメキシコに行くことになりました。
- 【住むなら断然メキシコです!】Asia Alliance Partner Mexico 加村博彦氏インタビュー
中南米を渡り歩いてメキシコ、欧米にいた経験があってメキシコに来ましたという方はよく耳にするのですが、タイからメキシコという加村さんのような方はおそらくご本人も仰っていたように唯一無二の貴重な存在だと思いました
- 【山善メキシコ】吉倉氏お疲れさまでした!山下氏ようこそメキシコへ!
昨年MEXITOWNでインタビューを掲載した山善メキシコCEOの吉倉雄二氏。 また、メキシコは世界二大市場の一つである米国に隣接し、ものづくりの米州のハブとなる。この地位は今後も存在感を発揮すると思われます。
- JICA帰国研修員同窓会(ASEMEJA)第3回総会が開催されました
私自身メキシコ生まれであり、この第二の祖国メキシコのためにも是非貢献したいと思います。」
- (前編)伊藤亮氏「自分のペースで仕事をしたい、それが起業のきっかけ」
タクシーが走り出してからほんの数ブロック行った所で信号もないのにタクシーが止まり、二人の男がどやどやと乗り込んで来ました。この二人は後ろから付いて来ていた別の車に乗っていたのですね。 とか言い、運転手の方も何がし怖がっていましたが、少し経つと演技をする必要もないと判ったのでしょう、実は運転手が他の二人(そして後ろに付いて来ていた乗用車の運転手)に指図していました。 暗証番号を教えろ、と言われ、仕方なく教えると、二手に分かれ、私とタクシーの運転手を含む強盗団 3名が乗ったタクシーと、後から付いて来た乗用者の運転手が分かれ、夫々の銀行の ATM に行き、現金が下ろされました
- 【レオンお知らせ】グアナファト歴史博物館より2月の催し物のご案内
彼女の作品は、第二波のフェミニズム、アイデンティティ、性別、時間、感情に関するテーマが交差しているのが特徴です。
- 「“ライド・To・ザワールド”新たなサービスを開始!」新連載:サイクリストYohのアントレ①
上記二つのレースしかない状況で練習環境も中々整わない日本から飛び出してもっと自由に、かつ楽しく海外レースに参加しちゃおうという建付けです。 ポイントは日本よりも参加ハードルは低いという事。 二つ目に興味関心、どんなに自分とかけ離れた存在に対しても興味を持ち、そこから学ぶ姿勢を保てるかどうかが、年を取ってから色々経験して頼りにされる存在になるか、今まで甘えてきたんだなと思われてしまうかの境界
- Dra.コニー診療所「日本人の方が言葉の不自由を感じない、安心した診療を提供」
Dra.コニー診療所はコニー先生と旦那様の箕野様のお二人で経営されていて、とてもアットホームな雰囲気が感じられますね。まずは診療所のご紹介をお願いします。
- (前編)滝本 昇氏「メキシコでの56年間ーいつも人との出会いが人生を大きく変えていった」
滝本氏:私は1941年1月生まれで、世の中は真珠湾攻撃から第二次世界大戦に突入した年です。3歳から5歳の時の、終戦前から終戦後の疎開地での記憶が鮮明に残っております。
- 【特別寄稿】日本からメキシコに帰国の時の様子をレポート(2022年1月2日現在)
成田第二ターミナルは行ってないので分かりませんが。同じ様な状況かと思います。 ANAラウンジ内は意外と人がいます。16時まで居ましたが、人も徐々に増えて盛況な感じでした。
- メキシコにもあった切削工具メーカーACTRA MEXICO : 第35回メキシコで頑張る人にインタビュー(GFNY親善大使、YOH YAMADA⑤)
お客さんの信頼を得て運営している工具メーカーとしては唯一無二の位置にいます。 MT:日系企業とだけでなくアメリカ系の企業とのやり取りも多いと聞きました。 Yoh:そうですね。