地域に寄り添い、文化を未来へつなぐ——JICA海外協力隊・神谷さんインタビュー

メキシコ・カンペチェ州でJICA(国際協力機構)海外協力隊として活動する神谷さん。日本では営業職として働いていましたが、現在はマーケティング隊員として赴任し、地域に受け継がれてきた伝統的なフルーツ加工品の記録・保存に取り組んでいます。
活動を始めた当初は、想像していた任務とのギャップや、メキシコならではの時間感覚に戸惑うことも多かったといいます。しかし、地域の人々の温かさに支えられながら、今では「外国人だからこそ見える価値」を形にする仕事にやりがいを感じています。
今回は、現在の活動内容や印象に残った出来事、そして協力隊を目指す方へのメッセージについてお話を伺いました。
<目次>
『リメンバー・ミー』がきっかけでメキシコへ

実は神谷さんにとって、メキシコは初めて訪れる国でした。興味を持つきっかけとなったのは、ディズニー&ピクサー映画『リメンバー・ミー』。
死者の日の文化に魅了され、「いつかメキシコで暮らしてみたい」と思うようになったそうです。その後、JICA海外協力隊の派遣先としてメキシコを見つけ、「行くなら絶対にここだ」と応募を決意しました。
赴任後にはオアハカも訪れ、死者の日シーズン前の街並みを実際に見ることができたことも印象深い思い出になっています。
地域に受け継がれる特産品を未来へ
神谷さんが現在取り組んでいるのは、カンペチェ州テナボ市に伝わる伝統的なフルーツ加工品「コンセルバ」の製造工程を記録する冊子の制作です。
コンセルバとは、果物をシロップ漬けにした保存食で、地域の特産品として親しまれています。神谷さんは、生産者へのインタビューや製造工程の取材を通じて、その歴史や価値を一冊にまとめようとしています。
さらに、地域で行われているジャム作り教室についても取材を行い、作り方だけではなく、「どのように食べられているのか」「講師や受講者はどんな思いで作っているのか」といった背景まで丁寧に記録しています。
完成予定の冊子は、スペイン語・日本語・マヤ語の3言語で制作される予定で、地域文化を次世代へ伝える貴重な資料となりそうです。
取材を進める中で出会ったフルーツや加工品も、日本ではなかなか見ることのないものばかりでした。
例えばナンセ(nanche)、シルエラ(梅のような果物)、マラニョン(marañón、カシューナッツの果実)、パパイヤ、マンゴー、カモーテ(サツマイモ)などを使ったコンセルバやジャムが作られています。
また、未熟な青マンゴーをピクルスのように漬け込むエスカベチェ(escabeche)や、人参とオレンジを使ったジャム、ハイビスカスジャムなど、日本ではあまり見かけない加工品にも驚かされたそうです。
「メキシコに来たからこそ初めて知った食文化がたくさんありました。」
営業職から協力隊へ。経験ゼロからの挑戦
日本では食品や地域振興とはまったく関係のない営業職として働いていた神谷さん。
マーケティング隊員として派遣されたものの、赴任当初は配属先と「何を一緒にできるのか」を話し合うところからのスタートでした。
試行錯誤を重ねる中でたどり着いたのが、「外国人だからこそ気付ける地域の価値を伝える」という現在の活動です。
「地元の人にとっては当たり前のものでも、外から見るととても魅力的な文化があります。その価値を言葉にして残したいと思いました。経験がないからこそ固定観念に縛られず、新しい視点で地域文化を発信できることが、自身の強みになっています。」
一番苦労したのは「時間感覚」の違い

活動の中で最も苦労したことを尋ねると、神谷さんは笑いながら「時間ですね」と答えます。
約束の時間に行っても会場が開いていない。
「今日は教室がないのかな」と帰ろうとすると、生徒から「いや、まだ始まってないだけだよ」と声を掛けられる。
そんな出来事が何度もあったそうです。
「最初は日本の感覚で待っていましたが、今では30分から1時間くらいは余裕を持って考えるようになりました。」
家の修理を依頼しても、指定された日時に誰も来ないことも珍しくありません。
最初は悲しく感じることもありましたが、1年間生活する中で「人それぞれ」であり、地域によっても大きく違うことが分かってきたと言います。
現在はカンペチェ市に居住していますが、活動先である人口約1万人のテナボとは時間感覚にも違いがあり、「同じ州でもこんなに違うのか」と実感しているそうです。
村の人たちが家族のように支えてくれた
一方で、神谷さんが何度も口にしたのが「メキシコ人の優しさ」でした。
一人暮らしを心配して食べ物を届けてくれたり、「寂しいだろうから」と食事に誘ってくれたり。
困っていると、こちらが恐縮するほど自然に手を差し伸べてくれる人が多かったそうです。
「人に対する温かさや愛情を本当に感じました。」
人口約1万人のテナボでは、村中の人が神谷さんの存在を知っているほど。アジア人がほとんどいない地域だからこそ、多くの人が名前を覚え、町で声を掛けてくれたといいます。
「知らない土地で一人暮らしをしていたので、受け入れてもらえていると感じられたことは本当に安心につながりました。」
1,000人以上が来場した「日本祭」
協力隊赴任から約半年後、JICAボランティア事業60周年を記念して、神谷さんはテナボで「日本祭」を開催しました。
会場では、折り紙や着付け体験など、日本文化を体験できるさまざまなブースの用意や日本食の提供をしました。ラーメンは完売し、長い行列ができるほどの人気だったそうです。
人口約1万人の町で、来場者は何と1,000人以上。近隣のカンペチェ市やメリダからも多くの人が訪れ、大盛況となりました。
準備期間中は、「本当に間に合うのだろうか」と不安になることも多かったといいます。
しかし、イベント直前になると、市役所職員が一気に動き始めます。
イベント会場には、市役所が手作りした鳥居が設置され、提灯の飾り付けや会場設営も職員総出でサポート。さらには、他地域から応援に来たJICA隊員の食事まで用意してくれました。
「最後の追い込みは本当にすごかったです。」
一方で、提灯を当日に折ればいいと思っていた神谷さんが、市役所職員から「それはさすがに遅すぎる」と注意されたというエピソードには、思わず笑ってしまったそうです。
「自分の時間感覚がメキシコに慣れすぎてしまっていたことに気付きました。」
協力隊を目指す人へメッセージ
最後に、これから海外協力隊を目指す人へのメッセージをお願いしました。
「活動内容のギャップやカルチャーショックなど、大変なことはたくさんあります。でも、それも含めて協力隊だからこそ得られる経験でした。日本では体験できない文化や価値観に触れることで、自分の視野は本当に広がります。その経験は人生の大きな財産になると思います。」
会社員時代には得られなかった経験が、今では自分自身を大きく成長させてくれている——。地域文化を未来へつなぐ活動を続けながら、神谷さんは今日もカンペチェで、多くの人々との出会いを大切にしています。

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ボランティア事業担当 野尻
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