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MEXITOWNの中の人の人生その②



Hola!前回のMEXITOWNの中の人の人生その①では、新卒で入社した会社を退職してアメリカに旅経つところまででした。今回は留学時代から結婚、台湾での生活までを描いていきます。ちなみに上の写真はサンディエゴの有名な高級住宅街のあるLa Jollaの海です。


2007年夏~2009年12月 サンディエゴに留学し、そこで人生大きく変わる

2007年8月にサンディエゴ州立大学の語学学校に入り、英語の授業だけでなく、大学の授業も受講できるというプログラムにまずは入学しました。しかし、一度来たことがあるサンディエゴのはずなのに色々な手続きなどに戸惑い、来てから3週間くらいはかなりバタバタしており、ちょっとだけ疲れていました。


そんな時に韓国人のルームメイトが「ジムで入会の手続きを手伝ってくれた日本人男性に、今度ご飯に行くっていわれたから、Shokoも来ない?」といわれ、「何その軽々しい男性は!(今思うと、ごめんなさい)ちょっと危ないから私もついていく!」とルームメイトのセキュリティが心配になり同行しました。なんと、最終的に自分のセキュリティを守れませんでした💦。


はい、この時日本人男性と同行していたのが今の旦那で、現レイトレーディングの社長です。会った時は正直「日本語上手だなー」と思っていただけで、それよりも久々に食べることができた韓国料理に夢中でした。そんなことで連絡先を交換した私たちは出会ってから1ヶ月たたないうちに勢いでお付き合いをすることになりました。何かをきっと感じ取ったのでしょう。あとは、台湾人にとって日本人女性はどうやら魅力的にうつったので、チャンスを逃すまい!と思ったのでしょう!(笑)※本人曰く、私からのアプローチが凄かったらしい(?!)


Thanksgivingでのアメリカ人の家庭のディナー


その後、サンディエゴ州立大ではなく、旦那から話を聞いて興味がわいてきたビジネスの勉強がしたくなり、2008年夏からNational UniversityのMBA programに入学しました。


この学校は社会人向けの大学・大学院のため、1ヶ月で1クラスを受講して早く卒業するというシステムでした。そのため、ある意味数か月の学期で3、4クラスをこなしていくよりも遥かにしんどい💦


1ヶ月で中間テストと期末テストが来るため、予習・復習で分厚い教科書を読み込んだり、過去問の解読に時間をつぎ込みました。そのため、よく留学していると色々な場所に行けていいなーなんて言うのは全然できず。。。ただ、この大学でマーケティングやビジネス、ナレッジマネジメントや国際ビジネスを勉強でき以外でも色々な国からきているクラスメイトとの交流ができたのが貴重な経験になりました。




そして、付き合い始めて2008年夏に「これからも一緒にいてくれない?台湾についてきてくれない?」とプロポーズを受けました。これも今考えると、付き合い→プロポーズまで早っ!!ただ、正式な結婚式は大学院を卒業後にということだったので、1年間(2009年)はフィアンセとして一緒にいました。そんなことで、サンディエゴでの2年半の生活の大半は旦那といたため、すでに結婚するころにはあまり新婚さんな感じがなかったかもです。


2010年1月(日本では3月)結婚

そして無事卒業し、アメリカを離れていざ台湾へ!台湾にはサンディエゴにいた時の冬休みに1週間行っていて、生活も大丈夫!楽勝だ!と思っていました。ただ、現実は甘くなかった・・・



まず結婚式の習慣・やり方があまりに日本と違うため驚愕。例えば(※10年前です。今の台湾の結婚式はかなり多様化しています)、ウェディングケーキとは何かを旦那のご両親に説明したり、結婚式の招待者の服装はものすごくカジュアル、カラオケ大会当たり前で正直、あまりにバタバタしていてよく覚えていませんので割愛。


ただ、結婚記念として綺麗なドレスを選んで、ノリノリでとった写真はいい思い出です(写真はここにあげるのは恥ずかしいので、見たい方は個別にご連絡を)。また、披露宴のみ日本で同じ年の3月に挙げました。



2010年~2012年 台湾での生活に四苦八苦の末、台湾が大好きになる 


こうして3月に日本での披露宴も終わり、本格的に台湾に住み始まりました。すぐに語学学校に通って北京語を覚えていき、なんとか自分は「台湾人のような日本人」になるような努力をしました。ただ、今思うとなんでそんな些細なことでストレスを感じていたのだろうと思う文化の違いが沢山ありました。例えば、



  • 台湾人は何でこんなに運転が荒いんだろう(もう慣れた)

  • 洗濯の物干しが違う、何でベランダに洗濯機がおいてあるんだろう(メキシコでもそうなので、もう慣れた)

  • どうして市場はこんなに暗いんだろう(今はそんなことない)

  • 麺やスープがビニール袋に入って売られている(慣れた)

  • 朝も早く、夜も遅くまで起きていて、果物を夜に食べるのがきつい

  • 市場でのお肉やお魚の売り方が(略)

  • 台北の冬が寒くて、暖房がないため体感温度が寒すぎる 

  • 病院で処方される薬が強い

  • トイレットペーパーをどうしてごみ箱に捨てるの(今は減ってきている)

  • (本当につらかったときが)中国語が全部怒っているの?と思うくらいイントネーションについていけない

などなど、この時は旦那にも辛く当たることが多々ありました。余はアメリカと日本基準で物事を考えてしまい、色々なことが受け入れられなくなっていました。また、最初のころは中国語も話せなかったため、主人や義理のご両親の情報を頼りにしていたので、完全に行動が受け身でした。分からないことがあってもうまく表現できない、それで黙ってしまいストレスになるの繰り返しでした。


今思うと、特に義理のご両親は言葉がわからない私に決して怒ったりせず、無理にお料理やお掃除をしなくていいとまでいってくれた優しさもあり、本当に迷惑をかけてしまったと反省しています。


台北市内の公園で見つけた蓮の花と、台中公園の写真


結局一度日本に帰国しましたが、2011年秋にまた台北へ。また台湾に行くことが本当に不安でしたが、殻にこもっていてはよくない。旦那や義理のご両親に頼ってばかりではダメ。むしろ私が台湾の良さを自分の足で歩いて、自分の好きな台湾を見つけて、自分なりのスタイルで楽しむべきじゃないか?と決意しました。もしかしたら、この時思った”自分の好きな台湾を見つける”いわゆる”Find my Taiwan”は、このMEXITOWNのコンセプトであるFind my Mexicoに通じるものがあるかもしれません!


それからというもの、私は日本人が発信している台湾の情報サイトやブログ、あとは語学の勉強にもなるので、Taipei WalkerやVOGUE Taiwan、台湾のカフェの専門書、料理本を買って情報収集を自分でしていました。それもあり、今では


  • 台北の地下鉄、何も見ないで書ける(新北市の地下鉄はわからない💦)

  • 中山、永康街、西門は迷子にならない、どこに何があるか目つぶってもわかる(本当に目をつぶったら事故りますがw)そのエリアのカフェはだいたい把握している

  • 台湾家庭料理はある程度作れる

  • 日本やアメリカのレストランチェーンの何が進出していてどこにあって、何が撤退したかの情報もつかめることができる

  • 台湾の大手スーパーが台北市内のどこの駅に何件あるかおおよそ把握している

ギャラリーのカフェや食べ物は、私が実際に一人で調べて見つけてきた場所です


1年後、また日本に戻ることになりましたが、なんと行き先は神戸!待て、関東にしか住んだことない私、関西は未知の世界でどうしよう、、、次回は、神戸で過ごしたコンサルタントとしてトレーニングされたことやそこで受けた刺激、そしてメキシコに行くきっかけまでをお話します!


番外編:台北市内で撮影したクリスマスツリー

 

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